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20180425:歴史観(公文書の在り方) [ただの私見]

 "財務書公文書改ざん事件" で自分が教えられた事の一つに、国の政治経済に関わる公的な方々が、公文書を "私物化" して勝手に都合の良い様にしてしまうと言うか、公文書を "国の記録" として永久に残す、大げさに言えば歴史的使命がある書類へ向かう謙虚な姿勢の欠如があります。

 最近のあるお方のブログに、米国駐在経験として、取り決め毎の経緯を含めて全てを書類として残す風習に触れておられる記事がありました。
 所謂ワープロで作成した文書には、都度の校正記録が残る "編纂履歴機能" があり、最終稿がどのような経緯を経て成立したのかが解る様になっているのは、この様な文化の影響でしょうか。

 公文書の改ざんが出来ない様にする一つの手段として、一度決済を経た書類を全て書き換え不能の文書DB(データーベース)として未来永劫保存する事、その文書の校正&閲覧記録をも含める事を法律で定め、違反した場合には刑事事件として扱う事があろうかと想います。

 こうすれば後世の方々の遡及("Go-Up")研究に役立つばかりで無く、政治家・役人の全ての行動が "歴史的事実" として残る事になり、政治経済の私物化も少しは収まるのではと信じたいのであります(同時に、歴史は勝者の記録ばかりでは無くなる事も期待出来る訳です)。

 加えて、どこの中央省庁でも部外者の訪問時には "訪問者の氏名・所属・その連絡先+訪問先+日時+要件" を記載・登録する事になっており、受付側はPCで来所予定に入っているかどうか、訪問者の身分証明書による確認、場合によっては訪問先へ電話を入れて確証を取るのが普通で、その後で電子タグを渡されてからしか中に入れないし、(加えて訪問先の確認証が無ければ)退館も出来ない事から、これ等の受付記録(含・訪問者身分証明書の例えば編集不能型PDF化の様なファイル)も公文書扱いとして永久保存を法律で決めれば、"記憶の限り云々" の様な珍台詞は無くなろうというモノです・・・と信じたい。

 "GAFA"(Google+Apple+Facebook+Amazon)は超巨大なユーザーDBを日々更新・強化している事が最大の強みとの見方もある位です。
 我が国の中央政庁文書DB等、GAFAの持つDBに比べたら矮小過ぎる位で、その保管なぞ、その気になれば直ぐにでも出来る代物です。

 そうなると都合が悪くなる政治家先生&お役人等が多すぎて、法律が出来るわきゃないか・・・トホホだなぁ (泣き)
 でもって、施政者側の都合悪い書類は葬られ、都合の良い物ばかり・・・これが歴史として後世の人に伝えられるとは・・・(再びの "泣き")
 そういう正義の無い国になっては欲しくはない・・・と、願うばかりです (>_<)


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