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20181117:科学研究費の課題は “額” よりも先ずは “配分” だ [ただの私見]

 我が国の若手研究者の海外派遣数がここ20年で40%減とかで、文科省が “てこ入れ” をするとの記事が何と日経紙2018年11月9日付け朝刊第一面トップで掲載されている。
 あの中間選挙を経て “米国がこれからどうなるのか” についての記事は第一面だが二番手扱いだから恐れ入る。

 てこ入れの手段としては ”科学研究費”(科研費)助成制度を “改善” して若手研究者の海外研究機関への派遣を容易にする方向とある。
 今更・・・と言う気もするが、遅くともやらないよりは遙かに良い。

 記事では科研費の予算額が2.2千億円程度で頭打ちと指摘している。 もっと増額せよ・・・との気持ちらしい。

 科研費は大学・企業・公的機関の研究者に研究課題を提案させて、”将来性あるテーマ” に支給する制度で、例年10万件超の応募に対して2.5万件程が “将来性有りと判断 されて” 採択されている。

 問題はこの将来性に関わる “判断基準” だ。
 判断するのは既に実績のある年配の学識者、敢えて申し上げれば “学会ボス” 連中が多いので “人脈的に彼等に繋がる”、或いは “流行” のテーマが必然的に採択される傾向が極めて強い。 繋がるとは、文科省が "此処は絶対に潰さない" と指定している大学&独法研究機関からの提案、また教え子等、即ち有り体に言えばボス連の研究室・講座から “植民校” へ武者修行的に派遣された助教/准教授/教授等の提案案件の事です。

さて:
 そこでの “将来性” とは彼等ボス連が判断するに過ぎず、その “適切性” が顧みられる事はない。
 と言うのも、最近の自然科学分野のノーベル賞受賞者の研究テーマが必ずしも彼等ボス連に選ばれたとは限らないし、聴いた例しもない事から明かだ。 なので、過去からの延長線上で判断される将来性に果たして “革新性” が何処迄あるのか、極めて疑問だ。

 “額” よりも先ずは ”配分の仕方” に論点が埋もれていると想う次第だ(*1)。 でも今の選考の仕組みを変えない限りは・・・

それに:
 “キャッチ・アップ” ばかり、また海外派遣ばかり考えずに、海外から若手研究者を経費全額日本持ちで招聘するに足る “魅力的な、かつ質の高い公的研究機関” を組織化・センター化する等の見識・構想もあって良いのでは無かろうか。
 研究開発対象は “日本の得意分野・技” の更なる革新だ。 それって何なんだ・・・これを実現するには “オープン・イノベーション” の精神で広く世界から提案を募るって方法もあろうじゃないか。 SNSっていう便利なツールで世界中から才を集める事だって可能なのだし。
 後追いだけじゃ・・・
 尾崎弘之著:"新たなる覇者の条件" にだって、閉塞した環境では何も良いこと生まれないって様な事、指摘していますぜ。
 せめて理学・工学系科学分野ではオープンにして逸材の才を活用するんだって!
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(*1):こんなブログ投稿して嘆いています:
  ”20180224:”論文不正事件” を考えて・・・(拙論)
  ”20170715:論文引用数から科学技術力が解るのか
  ”20170501:今度こそ若手提案が通るか


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