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20190512:”あおり運転” のニュースを観て聴いて想う事(反省) [自分の事]

 一向に無くならない “あおり運転”。
 4月30日に愛知県で起きた事件では、”煽った運転手” と “煽られた運転手” が共に県警から “お説教” されたらしい。
 が、投稿された動画を見ると明らかに煽られた運転手の方が被害者としか自分には判断出来ない。
 福井で起きたお坊様の僧衣運転の扱い(*1) とか、例の池袋で起きた悲惨な死亡事故を起こした高齢者の扱い(*2) もそうだったが、警察の考え方ってよく解らない事も多い?です。

ところで:
 あおり運転で想い起こすのは、今想うと “自分のあの運転” は “あおり” ではなかったか?・・・と言う事であります(冷や汗)。

 免許をとり、中古クルマも手に入れ、ドライブに夢中になっていた30歳台。
 今から45年程前の事だ。

 横浜は丘陵地帯が多く、従って坂道の上り下りが頻繁だ。
 ある晴れた日の事だった。 上り坂を走っていた時の事だ。
 前を走るクルマの運転振りが余りに稚拙で、まだまだ血の気が多かった自分はそれこそ頭にきてフォンを鳴らし、”急かした” 事があった。

 そのクルマの運転手は驚いたのか、冷静だったのか、脇に逸れて自分を先にやり過ごし、何事も起こらなかったのだが、今想えば “あれはあおり” だった。

 今になって、あおり運転の事件/事故のニュースを見聞きする度にこの恥ずかしい事を想い出します。
 45年程前の事でしたが、深く反省しております。
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 ともに “義憤”(?)を綴っています:
 (*1)20190210:”僧衣” 運転は危険?
 (*2)20190427:法の前の ”現実”(2件の ”高齢者自動車死亡事故” 報道を観て聴いて)

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