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20190612:読み直して気がつく ”若かりし己の幼稚さ” [自分の事]

 とっくに処分していたと想っていたミステリー・シリーズ文庫が物置の隅から見つかり、懐かしさの余り読み直した。
 ロジックを主体とした本格ミステリー勃興のきっかけを作ったとの評価が定着している奴だ:
  S.S.ヴァン・ダイン:”ファイロ・ヴァンス” シリーズ

 1926年とされるデビュー作品から既に90年以上経っているから全体的に古色蒼然としているのはやむを得ない。
 見つかった邦訳文庫は1959年初版の第12版(1966年)で、紙は茶色に変色しかかっているし、辛い事にはフォントサイズが小さ過ぎる。

 それでも “**ルーペ” をかざして我慢しながら読み続けたが、最初に読んだ時の興奮・感激は “皆無”。
 勿論、犯人が誰だか記憶に残っている事もあろうが、今では何でこんな単純な論理構造で犯人を追い詰めていけるんだ?・・・ってな印象しか持てない。

 作者は美術評論業が本職で、本名 “W.ハンチントン・ライト” 氏。
 それでか、初読み時には文中随所にでてくるペダンティックな会話に魅了されていた筈だが、今読み直して気がつく事は余りに薄っぺらな通り一遍過ぎる講釈に過ぎず、”へっ!” って感じしかしない。
 こちら側の当時の乏しい知識故の “目くらまし” に過ぎなかった・・・こんな事に今頃読み直して気がつくなんてっ! (>_<)

まぁ:
 後期高齢者になる迄に辛酸とは言わない迄もいろんな経験をし、優れた先人からいろんな教えを受けた・・・等々から若い時とは違う知識・知恵・モノの見方が身についたせいかもしれない。

 たぶんミステリ小説に限ったことじゃぁないだろうなぁ・・・少しは利口になったのか、それとも何事にも鈍くなって感動する気持ちがなくなっちゃったからかな?
 ・・・いろいろ考えさせられました。

驚いた事に:
 この時代以降の本格モノの新訳版が出揃いつつあるそうだ・・・って事は、この新訳文庫でミステリーの “迷路” に入り込む若者等がいるって事かぁ・・・
 自分にとって現代ミステリーにはやたらと筋書きを複雑化して煙に巻く類いが多いし、遊び心が古典モノに比べて欠けている印象が多いが、現代の若者等にも物足りないのか。
 彼等が一世紀近く前の所謂本格モノをどう捉えているのか、少しだけ知りたい気持ちもあります。
 歴史は繰り返す・・・って事になるのかな?


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