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20190814:首都高速道路を ”下” から見れば・・・ [雑感]

 日経紙が朝刊最終紙面(文化)で連載していた囲み記事:
   記憶の空間-6:首都高速道路(8月6日)
では、3重に重なったS-字の首都高速道路を俯瞰した写真を掲載している。

 この連載は、人は必ず忘れるが、記憶しておかなければならない建造物等を “空間” と捉えて10回連載された:
  ①:広島平和記念講演
  ②:嘆きの壁
  ③:ホロコースト記念碑
  ④:東京慰霊堂
  ⑤:東京駅
  ⑦:お祭り広場と太陽の塔
  ⑧:斐伊川築地松
  ⑨:ショヒド・ミナール
  ⑩:高田松原津波復興祈念公園(国営追悼祈念施設)

 羽藤英二教授@東京大学がお選びになった10点だが、その選択基準は凡庸な自分には解らない。
 首都高速道路の紹介は “戦後復興のシンボル&ドライバー” と位置づけておられる様で、どちらかと言うと “好意的” だ。

が:
 実際にクルマを走らせればすぐさま痛感するのだが、利用車数に対して車線数が決定的に足りないし、しょっちゅう分岐点が来て、出るクルマ/入ってくるクルマがひっきりなしで、神経が休まる時が無い。
 まぁ、何せ基本設計は戦前で、戦後占領軍の裁量の中での再設計、しかも用地買収に手間がかからない河川が利用された上、想定以上のクルマ社会になったからでもあるので無理も無い面も多々ある。

俯瞰図は:
 海外では “未来都市” のイメージと捉えられているとの紹介であった。

が:
 ひとたび下の一般道を走って上を見れば “空を遮る邪魔な存在” 以外の何物でも無く、醜い。

 お偉い先生のご紹介だったが、”負” の側面も紹介して戴きたかった。
 それに東京五輪/パラリン2020以降に実現に向かって動き始めるらしい “日本橋をまたぐみっともない首都高” の地下化構想(*1) についても触れて戴きたかったなぁ。

 それこそ
   “日本橋を覆い被さる首都高を見上げた図
は忘れてはいけない空間として記憶しなければ・・・と想わずにいられない (>_<)
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(*1)20180619:日本橋から ”空” を観る


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