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20190905:匿名性について考える [雑感]

 “京都アニメーション放火殺害事件(7月18日)で犠牲になられた方々のお名前が公表されている。
 お亡くなりになった35名の内、既に10名は氏名公表されていたが、今回の京都府警の公表(8月27日)では残り25名中20名のご遺族は実名報道を望まなかった模様だ(改めて被害に遭われた各位のご冥福と一日も早いご回復を祈ります)。

 犠牲になられた方々は公開作品製作に直接関わった方々で、その作品のエンドロールでクレジットされている方であっても ”私人” 性が強いのではなかろうか。
 最も基本的な個人情報である氏名公表が一律に前提と言うのは少し “気がかり” だ。

一方で:
 政治家とか国家/地方公務員等、税金でその活動/給与が賄われている方々は有名無名に関わらず “公僕”、即ち “公人” だ。
 その公人が業務上で不祥事を起こしたり、犯罪を犯したりした場合、氏名が公表されないケースが多々あるが、これには納得がいかない。
 正義を守るべき警察職員の不祥事があっても殆どが職位のみの公表に留まっているのは何故だろうか。
 公安警察の様な機密性は無い筈であり、“身内を隠す” ・・・ って感じしかしない。
 ニュースを観聴きして、”またかぁ” ・・・って、いつも想うのです。

そこで:
 ご遺族の意向を遮って迄に実名公表した京都府警は ”身内の不祥事” が起こった場合、どう公表するのか、見届けたい。
 “権力” を持つ組織は “謙虚”・”透明性” であってこそ・・・と考える望む次第です。