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20190913:勝手気ままな経験的 ”大韓民国論” [ただの私見]

 中身の薄い長文です。ご注意下さい。
 日韓関係がかってない程に悪化していて、有名・無名/専門・非専門/嫌韓・非嫌韓を問わずにいろいろな分野の方々が背景・経緯・論点・解決作等々論じておられる(因みに自分は “無名”/”非専門”/どっちかと詰め寄られれば ”嫌韓” 派。但しこの国への関心/興味は基本的に無い)。

が:
 自分にはこれ等の韓国及び同国民への考察に際して決定的に “欠けている視点” がある様に想えてならない。
 それは彼等の民族としての “プライド” に関わる考察だ(残念ながら今の日本人の多くに欠けているモノです)。

 自分は小学校から高校まで同じクラスに所謂 “在日子弟” が一名か二名はいて、仲が良かった友もいたし、大学から社会人になった以降も身近にそういう方達がいて、彼等の存在に特別の違和感は無い。
 加えて現役時代に業務で都合10回には満たなかったが複数の企業及び大学を訪問、またソウル市で開催された国際学会へ出席した事があって、お会いした韓国の方々は等しく教養が高く、尊敬に値する方々が多かった(勿論、”好き嫌い” とか “興味/関心の有無” とは別の判断です)。
 これ等のちょこっとした経験から理解している事を整理しておきますと・・・

1.彼等は “誇り高い” 民族だ:
 彼等は、その心の根底では東アジアの文明/文化は中国で発祥し、朝鮮半島がそれを受け、より高めて日本へ伝えたと考えており、中国を “親” と捉えれば自分等は “長兄”、日本は “次弟” と位置づけていて、明らかに私らの捉え方とは異なる。
 私らの多くからは “噴飯物” と言われそうだが、妄想だろうが何だろうが “この事実” を知っておかないと彼等の言動を解釈する事は難しい・・・と経験的に考えるのです。

つまりは:
 彼等は何事に於いても “自分等の方が日本よりも上” だとの想いを持つ “誇り高い” 民族であり(但し視野は狭い)、従って何事に於いても “日本に負ける事は許されない”。

 でもって、最近やたらめったら出て来る “嫌がらせ” は、いわば “それしか出来ない” って事の裏返しに過ぎず、それが “自身の国家の品格” を著しく貶めている事には気づいていない。

 更に言えば、我が国が自然災害にあえば彼等の反日サイト(?)では大いに盛り上がるそうだ。

 更に更に言えば、これは冗談だろうと多くの日本人は想うに違いない彼等の想いは、アルファベット順では日本(”Japan”)が先で韓国(”Korea”)は後、そこで日本の前へ行くために国名の英語表記を “Corea” にしようって話もあったそうだ。

 更に付け加えれば、この国の海外大使館/領事館等の必須な取り組みの一つが地元自治体へ “日本海” の呼称を “東海” とさせる働きかけ/ロビー活動と聴いている。
 極々最近はNY州が丸め込まれているが、対して我が国の取り組みには座視感がある。

さて現実は:
 彼等が良く引き合いに出す事例としては、情けない事に自然科学分野のノーベル賞受賞事例が無く、日本に “負けっぱなし” だ。
 つまりは、自然の摂理に関しては人類に何の貢献もしていない(応用開発の分野、例えば次世代型太陽電池の開発等ではフロント・グループにいるものの、基礎研究への取り組みは後回しにされるのが理由だ。最近の我が国もそうなっているとの指摘が根強いが、これについては別の機会で・・・)。

でもって:
 毎年の10月前半、日本の受賞者が出ないと “ホッと安堵” している・・・とは正直な告白だ。
 逆に日本人受賞者が出ると “如何に無視するか”、或いは ”如何に難癖をつけるか” に躍起となり、腐心する。

背景には:
 近代史を年少期にあらゆる教材を使って教え込まれる事によって、かっての我が国による植民地政策が消える事の無い深い傷となって心に投影されているとは容易に推察され得る。
 その反射的思考が、”自分等は大昔から日本との戦いに負けた事が無い” と、”白村江の戦い”(663年)とか “文禄・慶長の役”(1592年)を持ち出す事さえあるのだ(いずれも日本側の呼称)。
 所謂 “評論家” と自称他称されておられる方々の “何方もがご指摘されていない” ので信じられないかも知れませんが、本当です。

加えて:
 この国は、人口は日本の半分程度、GDPも遠く及ばない。
 経済は国内消費だけは成り立たずに輸出律速で、対中国輸出が停滞すると経済全体が途端に失活してしまう・・・我が国も似たり寄ったりだが、幸いな事には国内消費規模が遙かに大きい。
 更に彼等は建前上は北と対峙する為に徴兵制をとり、膨大な軍隊を維持しなければならない事から、その経済的/人的負担は我が国の比では無いのではなかろうか。
 経済の面でも、社会制度の面でも残されているマージンは少なく、彼等に道徳的な余裕は無い。

2.私らは彼等を “下” に見ている:
 一方の私らの多くは、例えばいくら気に入らない安倍総理大臣だからと言って、その似顔絵の面を被った人間をこれ見よがしに足蹴りにする “やらせパフォーマンス” とか、国を挙げての “不買運動” なんぞ、”お粗末な民度の国民” のする事程度としか受け取らず、韓国は近代文化/近代思想/近代化の点で “遅れている” と捉えている・・・のではなかろうか。
 関連するが、所謂 “在日” と呼ばれる方々への “ヘイトスピーチ” 等を見聞きすると、人権に敏感な伝統的な欧州人に言わせれば根拠の無い “偏見” と指摘される。

 実態は彼等が特段劣っている訳では無く、近代化のスタートが遅れたに過ぎないのだが・・・

3.日韓悪化の背景には・・・:
 結局の所、何事も自分等を “上の筈” と思う彼等から国同士の合意事項の反故を謝罪する事はあり得ないと考えるし、また当然な事だが、これなくして我が国からの歩み寄りもあり得ない(そうであって欲しい)。

とどのつまりは:
 冗談とも本音とも取れる “唯一の解決可能な環境” は、彼等が例えばノーベル賞受賞者数で日本を上回り、日本を越えたとの実績を得て初めて整うのだと想うが、この可能性は実質的に “零” だ。
 つまりは日韓関係の根本的な解決は、ほぼ永久に見えない・・・残念ながらこれが自分の結論です。

 “善隣友好” は理想ではあるが、これが草の根レベル迄実現している事例がこの地球上であるのだろうか・・・とさえ想う。
 政治家は誰でも等しく、そして善意の市民等は目指すべきであろうが、優等生国家であり続ける事が行き詰まったのが今の世界政治の状況だと捉え、つまりは日韓関係は突き詰めれば “文明/文化の衝突” とも言える程に根が深いものなのだと考える者であります。

そして飛躍するのですが:
 朝鮮半島はいつかは統一され、結局は ”反日半島” となるに違いない。
 我が国はこの視点に立って “国家戦略” を練る必要があると想う次第です。

因みに:
 “日本は結局は中国側に立つことになる、これしか生き残る路は無い” ・・・ とは、先の大統領選挙@USAで只一人トランプ大統領の出現を予測した政治評論家:“木村太郎” 氏の見解でした(かってBSフジで論証していました)。
 これを飛躍すれば、ベストセラー連発の故・”T.クランシー”氏が予測した “日米再開戦” ・・・それすら “ちらっ” と頭を掠めるのが怖くなります・・・年寄りの妄想に過ぎない様に祈るばかりです。


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