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20200206:”YS11” の記憶 [雑感]

 我が国初の国産旅客機となった “YS11” の量産初号機が羽田空港の格納庫で保管されている事は知っていた。
 が、空港の国際化に伴い居場所が無くなり、テーマパーク@筑西市(茨城県)へ移動して今秋より一般展示される事になったそうだ。
 既に解体作業が始まり、移動先で元の姿に組み立てられるとの記事がYS11の “雄姿” と共に眼についた(日経紙:2020年1月15日付け夕刊紙面)。

 官民共同で開発された双発プロペラ機で、前回の東京五輪(1964年)では試作機が聖火の国内輸送を担ったと言う。
 自分が初めて乗った飛行機もプロペラ機だったが、YS11については見た事はあるものの実際に搭乗した事は無かったのが残念だ。

 が、その設計・試作・試験飛行・量産化の経緯等はボンヤリと覚えている。
 改めてその経緯をネットで調べたところ、実に複雑な運命を背負っていた事を知らされた。
 官民共同と言えば聞こえ良いが、内実は異論続出/官民間摩擦と軋轢だらけで、紆余曲折した様だ。
 すんなりと実績を積んでいれば、我が国で唯一未だに実現されていない中~大型旅客機に関わる製造技術の歴史が変わっていた様にも想える程だ。

 三菱航空機(←三菱重工’子会社)が延期に延期を重ねている “MRJ” 機(今では “スペースジェット” と改名されているそうだ)の苦難は、YS11プロジェクトの “後継” 政策を放棄した国の “ツケ” を民間が払わされてる感じすらする。

もしかしたら・・・:
 当時、何処かの国から “日本に航空機の技術を持たせてはならぬ” との “横やり” が入って強制的に止めさせられた・・・のかも(”邪推” だと祈る)。

 少人数規模の小型ジェット機なら既にホンダが開発してビジネス展開しているが、中/大型航空機産業を持たない国をハイテク国家と言えるのか・・・って気もする。

ところで:
 YS11機開発の経緯がTVドラマ化された事があった筈で、故・岡田英次氏が零戦設計経験者として(?)出演していて、 “せめて垂直離着陸可能な機体の可能性から始めたい” ・・・ との台詞を記憶している。
 が、ネットで調べてもこのTVドラマの解説は見当たらなかった。
 NHKの “プロジェクトX” でもYS11が紹介されていたがなぁ・・・

 この歳になると、一葉の新聞記事写真からいろんな事を想い出します。
 昭和を飾った “産業遺産” は、その維持も今日的発展も大変らしい・・・デス。


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