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20180424:ミステリにおける ”キャラクター論”(偏見) [ミステリ三昧]

 "刑事モース"(原題:Endeavour)も9話(パイロット + 第1シーズン4話 + 第2シーズン4話)が終わり(NHKBS:2018年4月7日)、また再放版 "新参者(加賀恭一郎シリーズ:原作=東野圭吾氏)" 10話も終わってしまった(BSTBS:2018年4月11日)。
 刑事モースのシーズン3以降はW*W*Wの方で見なさい、加賀モノは最新作を映画で見なさい・・・と言う事なんだろうなぁ。

 TV鑑賞はあまりしない方だが、それでも楽しみの二つが無くなった自分は、整理してある手持ちビデオ・DVD等のデーターベースを眺めていたら、大昔にNHKBSで放送していた "マルティン・ベック" シリーズを見つけた。

 そうそう、こいつがあった!
 スウェーデン版警察ミステリ小説が原作で、ご夫婦作家 "M.シュヴァール/P.ヴァールー" による1965~1975年にかけてのスウェーデン社会の変わり模様も織り交ぜた傑作と評判を呼んだシリーズものだ(翻訳版を殆どを読んでいる)。
 1965年と言えば、若かりしモース刑事が警察署に入りたて時期と同じだ。
 録画版はスウェーデン国内で1990年代に(恐らくはTVドラマとして)制作されたものだった。

 北欧って行った事が無いし、恥ずかしながら地理の知識も皆無に等しいので、ドラマに出て来る地名がピンとこない。
 その上、役者さんも見馴れていない事もあって、始めの内はなかなか気持ちが入らず、加えて今のTVは画面サイズが昔の倍程度はあるから、見た目の画質落ちも大きい。
 が、登場人物の人となりと、淡々と進めていく落ち着いた捜査プロセスが丁寧に描かれており、次第に引き込まれてしまうところがうまい。

 何故か、今放送されているTV刑事物ドラマって、どうしても魅せられないんだが、どうしてだろう。
 フォイル、モースとかベックを見ていると理由は明かで(そうだ、フロスト警部も入れておきましょう)、彼等と比べると、今のTVドラマで観る刑事モノって "人間"、それも "内面" が描かれていないんですね。

 フォイル等のドラマでは、彼等の生い立ちと家族環境が仲間との繋がりを含めて緻密に描かれており、特に主人公については親兄弟・経歴・心情等が原作の設定(と言うか、原作者の設計通り)に忠実に再現されていて、おざなりなところが微塵も無い。
 加賀恭一郎シリーズに魅せられた理由もそうだったし・・・

 が、今の殆どのTV刑事ドラマにはそこが決定的に乏しいんだ。
 同じ俳優さんが局を変えて平の刑事、警部補、警部、果ては課長刑事までを一本調子で演じさせられている・・・中身が薄っぺらだからすぐに飽きちゃうんだ。

 そんな訳で、"謎解き" を純粋に堪能したい時は、所謂 "本格モノ" を本とかポケットPC等で読めむ事にしているんです。
 今や、寝る前には "黒いトランク" とか "黒い白鳥"(故・鮎川哲也氏)等、これを越える本格モノは未だ現れていないと想っている古典を繰り返し読んでいる始末です。

 いささか意味不明のブログ・タイトルで反省しております・・・なぁんて。

因みに:
 既に原作からの乖離が巨大化してしまっている "007_J.ボンド" も、初期の作品では両親・家庭・学歴・軍歴・酒肴・趣味等(含・女性遍歴)、果ては持病までもが綿密に設定されていたのです。
 シリーズものにあっては、こうでなきゃ・・・ネ

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