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20180818:モアイ像は誰の物か? [雑感]

 イースター島@チリの地元当局が150年前に持ち去られた “モアイ像” の返却を大英博物館へ求めているらしい(日経紙:2018年8月11日)。 博物館側は年間600万人弱の入場者がある博物館で展示する事に “公共の利益” があるとして応じないとの構えだ。

 しかし、この “公共性がある” との考え方が今後何時までも成り立つとは想えない。 どう考えたって自己正当化本位の理屈だからだ。

 実際、僅かな経験に過ぎないのですが、欧米の巨大な博物館で、丁寧に保管・保護されているビーナス像とか古代エジプト王朝時代の彫刻群とかロゼッタ石等数々の遺跡遺物が展示されているのを観た事がある。 中にはペルガモン大祭壇の様な巨大な建築構造物さえあったりした。 でも正直、”本来此処で展示されるべきなのか” ・・・なんて、想ったりした事がありました。

 欧米の伝統ある博物館には、かっての植民地時代以降の発掘品を自国へ引取り展示しているケースが多数ある(実際は殆どかも。口の悪い人は “略奪展示館” とさえ言う)。 盗掘等による散逸を防ぎ、劣化を抑え、更に歴史上の発見をした功績は限り無くあり、これについては誰でもが認めるだろうが、現地側から見れば略奪されたとの認識が生まれてきて、返却要請が出て来る当然の時代になったと言う事だろう。 “遺跡・遺物ナショナリズム” とも言うらしい。

 公共の利益があるので返さない・・・と言う論理がまかり通るのであれば、それは何処までの公共性なのか、主張する側には丁寧な根拠説明が必要な時代なのではないか・・・と自分には想えます。 “本籍国” が今後それなりに経済的な発展を経てこの種の遺跡・遺物を万全に保護・保管出来る時代になれば元に戻す・・・なんて事にならないのかな・・・なんて。

そう言えば:
 今や、非略奪側は、大航海時代以降の植物・資源・歴史上の遺跡・遺物等の返却を求める時代(”資源ナショナリズム”)でもあるそうです(*1)
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(*1):こんなブログの中で触れました:
  ”20180721:外来種 ”侵略” って言ったって・・・

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