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20180909:”無断パクリ” はいけません(小説 ”美しい顔” 表現論争) [ただの私見]

 本年後半期 “芥川賞” の候補作品:“美しい顔”(作者:北条祐子氏;講談社発行文藝雑誌 “群像” 6月号掲載。同誌新人賞受賞作品)の “表現を巡る論争” の論点整理が日経紙2018年9月1日付け文化面に掲載されている(記事署名:郷原信之氏)。

 このブログにその詳細を引用はしないが、この小説は2011年3月11日発生の東日本大震災を題材としていて、既往の数多くの現地取材レポートを参照にした上、ノンフィクション作家の上梓作品(複数)に書かれた表現との “類似性” が指摘され、”引用” も無かった事から “盗用・盗作” との指摘があった。

 群像誌掲載時には編集者が見逃していたのだろうか。 が、さすがに芥川賞選考委員会は見逃さなかった。 “事実(ファクト)には著作権は無い” から、震災描写自体の類似性をもって盗用・盗作とは断定しないものの、作者のモラル・作法には・・・との事で、著者独自の感性に基づいた描写が望まれるとし、受賞には至らず、すこぶる付きの妥当な審査結果に落ち着いた。

 北条祐子氏は、多数の著作を読み込んでの創作活動だったとは想うが、どうして引用欄を設けなかったのか。 著者がうっかりと失念してしまっていたとしても、当然の事ながら担当編集者が気づいて指摘しておくべきだった筈で、出版社側の “意識の乏しさ” が窺われる。
 引用無しでは “無断パクリ” と指摘されても反論出来ないでしょうに。

 引用は恥ずべき事では無い。 むしろ、先人の行為に敬意を払う事なのだ。
 技術系学術論文の場合、独自性・先見性が尊ばれるのは勿論だが、それに先立つ自己を含めた先人等の取り組みを参照論文リストとして引用明記するのが基本だ。 そこには先行研究及び研究者の取り組みに対する尊重があり、読者はそれに沿って先行論文を遡及して参照する事が出来る。

 引用すべき事とかアイデア等が論文・特許・学会予稿集・シンポジウム議事録等で整っていない場合は、その旨、或いは誰それからの ”私信” ( 英語論文であれば “private Communication” ) と断りを入れておく事も基本だ。 まともな学術論文雑誌への投稿の場合、これ等無しでは審査に入る前に門前払いを喰らうのが落ちなのです。

 たとえ文芸作品であっても、参照した著作は必ず引用する事が当然であって欲しい。
 更に加えれば、ここで言う著作には、通常 “ライター” と表記される方々の取材レポートも含めて欲しいものだ。
 小説家の方がライターよりも “上” の様な目線・扱いの多くは “不当” と想うからで、どちらも表現には苦心した創作物の筈だからだ。
 どちらが “上” かは、時の試練を経た10年後・20年後に自ずから解るというモノです。 10年前とかに評判になった小説であっても、今やその価値を失い、忘れ去られて顧みられないものが殆どですし、ファクト・データーとして20年後にも生き続けて引用される取材レポートもあるのです。

因みに:
 自分はこのどうでもいいブログに於いても、参照とした対象についてはその出自を明らかにしているつもりです。


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