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20180914:村社会では競争は無い( ”ユニコーン企業” が育たない訳) [雑感]

 現役の頃から骨身に染みていた “ぼやき” : “何故この国では革新的素材/システムが積極的には迎えられないのか?” ・・・ 最近、自分には余り関心の無い新聞経済面の囲み記事をたまたま読んだら、想わず “頷いた” 事がありました。

 海外で流行(はやり)始めて、やっとその意味・価値・意義に気がつき、慌てて流れに乗ろうとする
 最近の一例が、以前から指摘されていた “マイクロ・プラスチック(MP)による海洋汚染” で、プラスチック製ストローの全廃を謳う巨大な外食チェーン店が海外で現れると、とたんに国内でも “それっ!” とばかりに後を追う。 代わりに紙製とかバイオマス由来生分解性プラスチック製に換える姿勢も後追いで、そこには哲学も信念も(自分には)見えない。
 発端は海洋に流れ出たプラ製ストローが鼻の中に突き刺さったままのウミガメの悲惨な映像が YouTube で公開されて広く知られるようになったとされる。

 “紙製” ストローって言うのも変な言いまわしだが、内側にはプラスチック・コーティングでもしなけりゃ使い物にならんだろうし・・・解っているのかいなぁ?

 一方の “生分解性プラスチック” は、自然界に存在する天然微生物等で完全に分解し、固形物としては一切残存しないプラスチックだ。 一定の規格を満たせば、食品食材残渣(食べ残しとか調理残)等と一緒に堆肥化処理が出来て、肥料として土壌改良材とか野菜等の栽培に適用する事が出来、その安全性も確認されている。
 時間はかかるが海水中でも完全分解するし、更に雰囲気に工夫をこらせば発酵過程で生ずるガスを燃料としても活用するシステムも技術としては完成している。
 原料がバイオマスであれば生分解の最終段階で発生するCO2もカーボン・オフセットされる(ご関心を寄せる各位は、”日本バイオプラスチック協会” が運営するウェブサイトが参考になるでしょう。同じく、日本バイオマス製品推進協議会のウェブサイトも)。

 我が国では1990年代初頭から経済産業省が着目し、国家プロジェクトとして分子設計・合成法・生分解性発現機構・検証実験等の研究が産学官一体で取り組まれ、更にその定義・試験法についても国際標準化機構( International Organization for Standardization, “ISO” )における活動に先導的に参加し、国際標準試験法確立に貢献している(対応する JIS-法も制定済み)。
 国のプロジェクトには後追い研究開発が多い中、”例外的” な取り組みだったと言える。

 これ等の成果は “2005年日本国際博覧会”(於・愛知県)会場で披露されていて、資源・環境問題に関心を寄せる市民・NPO・自治体・企業に知られる様になり、以後普及しかけたが、2009年9月の所謂 “リーマン・ショック” の影響で現在に至る迄、ごく一部の自治体・企業等のみの活用に留まり、既往プラスチック製品対比で割高な事もあって、尻すぼみのままでいる。

 経済産業省・農林水産省・環境省の資源・環境に係わる部門がいくら予算をつけても民間側の関心は蘇らなかったのだが、最近の海外からの “ESG投資” の考え(=まともな対環境・対社会・企業統治をしている企業のみへの投融資)が我が国でも広まり、更にMP海洋汚染の報で再び(と言うか、慌てて)再注目する様になった訳だ。

 先行事例の無い独自性の強いアイデア・素材・システム等々が提案・試作・試行されても、既往の小手先改良で革新を先延ばしし、海外の先行事例を見て慌てて後追いする・・・この姿勢は、
  ”なぜ日本で米国のようなユニコーン企業が育たないのか
  (日経紙:2018年9月6日:”ユニコーンが育たない理由”
   (記事署名:中萩氏))

の背景と見事な迄に “重なる”。

 そう言えば最近、AI-開発の専門家の方だったか、はっきり覚えていないが、国の “働き方改革” への取り組みに関連して、”日本では、仕事を皆で共有して非効率に進めるというカルチャーが蔓延している” ・・・ との意味の事を仰っていたが、狭い “村社会” では異端な事をすれば “村八分” で爪弾きにされてしまう。 村社会では、非効率と解っていても共同でチンタラ・ダラダラと作業する方が波風をたてずに “安全” なのだ。

 日本は未だに村社会なのだ ・・・ 自分の専門外である経済紙面記事をたまたま読んで、つくづくそう想った次第です(多くの方々が “異論あり” と申されるであろう事は承知しております)。
 “オラこんなの嫌だぁ” ・・・ って歌が聞こえて来るようです。 たははっ!


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