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20181027:”物言い” じゃないけれど・・・(”鏡映” 問題@チコちゃん) [ただの私見]

 柄にも無くNHK総合・金曜日20時ちょこっと前からの “チコちゃんに叱られる” がお気に入り。
 何時だったか、たぶん一年近く前だったか(?)、偶然にも単発・初回を観た事があって面白いと想った。
 なので、 レギュラー番組になってからは録画して翌日か翌々日に観る事が多い(何せ金曜日の夜は定番・行きつけ先があるので ・・・ (^^;) )。

 10月19日(金)夜には何故だか放送されずにお休みだった様だ。
 が、”チコちゃん” をキーワードにして予約していたので、実は翌日20日(土)の08:15から放送されていた様で、ちゃんと録画出来ていた。

 気がついたのは昨日で、既に一週間経っていた。
 でもって早速観たのだが、問題の一つに “平面鏡に映った自分。右手なのに鏡では左手になっているのはなぁ~ぜだ?” があった。
 チコちゃんの答えは “わからない”

 何処やらの偉い先生が説明され、あの森田美由紀さんが丁寧に絵で解説していた。
 が、自分には正直この解説は “回りくどく” て、かえって不親切だと感じた。

 物理学をかじった事があれば、”実像⇒鏡像” とは
    “右手座標系”(0-x,y,z)
      [右手親指 = x-軸, 人差し指 = y, 中指 = z ]
        ⇒ “左手座標系” (0-x',y',z';x'=x, y'=y, z'=-z)
           [左手親指 = x'-軸, 人差し指 = y', 中指 = z' ]
への変換と捉える事は “簡単” だ。

 つまり、ざくっと言ってみれば、横(x)・高さ(y)はそのままで奥行き方向(z)だけが反対になる。 右手系を実像の表現座標系とすれば、左手系は鏡像を表現する座標系と言う訳で、右手系をどんな組み合わせで何回連続的に回転させても左手系へは移らない。 両系は不連続・独立した座標系で、自然現象を数的に表現する時、どちらの座標系を採用しても構わないが、通常は右手系が標準座標系とされている。

 んでもって、“視点” を右手系から左手系へ “移せば”、右手が左手になるだけの話で、あの古代ギリシャの哲人 “プラトンでさえ解らなかった難問” と脅かすのは疑問だ。

 空間を座標軸で表現する考えは、あのデカルトがその基本概念を提出した17世紀の話で、プラトンの時代は、あれほどに幾何学が発展していたにも関わらず座標軸の認識は無かった筈だ。 あればプラトン程の識者であれば座標軸+視線を変えた話・・・と応えた筈だ(と想います。何せお会いした事無く、伺った事も無い・・・)。

 問題の本質は “視点をどちらの座標軸に置くか”、鏡の前の人間の心理、最近読んでも解らなかった書籍(*1) に従えば “意識” の問題で、視点を移すヒトは右手が左手となり、移さないヒトは自分の右手はそのまま右側方向に写っていると感じているに過ぎない。

 番組でも紹介していたが、クルマを運転している時、バックミラーに映る後続車のウィンカー方向を正しく捉えるのは、この状況下では視点を “移さない” と “習慣付け” しているからに過ぎない。

 従って、チコちゃんの質問に対する答えは
  “わからない”
ではなく、
  “人それぞれの意識が介在する問題であって、何故に対しての確定解はない
が正しいのではなかろうか。
 “わからない” ではなく、”こう解釈できるとわかっている”。
 
 “わからない” を正しい解としているのは、“意識” を “自然則で理解(*1)” 出来ていない “言い訳” だと想います。

 なんだか “一捻りしすぎた” 解説だった様に想えました。
 結局、”意識” の問題だ。
 そう言えば説明された方は心理学の先生だったかな?
 まぁ、どうでもいいや・・・・

因みに:
 この番組で観る岡村さん@99は、笑う時、”眼が本当に笑っている” 様で、とても穏やかです。

加えて:
 私らの両眼が左右水平に位置しているのでは無く、上下垂直に位置していたら、横・奥行き・高さをどう認識するのだろうか・・・誰も応えてくれなかった学生時代からの疑問です。
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(*1)20181014:読み終わったが ”一向に解らない!”(”脳の意識 機械の意識”)

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