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20181106:”人命” か ”自己責任か” [ただの私見]

 いつもは “たわいない話” で訳無く盛り上がる行きつけの居酒屋さん(*1) だが、先週行った時は様子が違って “気まずい雰囲気” が・・・

 のれんを潜って入ったら、お馴染み4名の先客がいたが、妙に黙りこくった “異様な雰囲気” に直ぐ気がついた。 誰も自分に声をかけてもくれないし・・・

 “何か” がきっかけとなって、例の中東地域で武装組織による人質から解放された**氏の事で、”何が何でも人命優先” か、それとも危険を承知で出向いたのだから “自己責任の筈だ” に意見が別れ、お互い “気まずい雰囲気” になったらしい。

 それぞれの言い分に人生経験を踏まえた “哲学” がある筈だし、自分はお酒の席では政治・宗教の話は避けるので会話に加わらないで、ご主人相手に細々とお酒を飲む羽目に (>_<)・・・つまんねぇ~のっ!

自分の捉え方は・・・:
 武装テロ組織による誘拐・人質事件は許す事の出来ない悪辣な事件だし、原則論で言えば “人命第一” の筈だ。
 が、今回の事件では自分には素直にそう言えない “何か” が心の隅に棘の様に引っ掛かっているから厄介だ。

 この厄介さの一つは自分自身の中東地域に関するあまりの “知識の無さ” から来るのではないか・・・

 西欧列強による植民地政策時代のツケが根本的に解決していない中東の出来事だ。 何故に今の国家が成立しているのか、何故にいくつもの反政府組織や武装テロ組織が立ち上がっているのか、何故にイスラムの世界が宗教の派で対立しているのか(尤もキリスト教だって新旧&東西で別れてはいるのだが・・・)、その謂われ・歴史・本質を理解していないし、文明の発生地として栄えた地域としてしか知識の無い自分には、そこに住む方達の考え方自体を理解出来ていないので、ここで起こっている紛争の本質が見えていないのです。

 今一つは、理由はともかく、中東の一部が政府からは渡航しない様に要請されている紛争の絶えない危険地域とされている事からだ。

 その様な危険と言われる地域に出向いて事件を報道する・・・ジャーナリストとしての使命感を持ってこそなんだろうが、当該本人がそれに値する報道をしたのかどうかさえ自分は知らない。 イスラム世界の複雑な出来事・風習を、遠い東の国から傍観しているだけの自分は渡航する事は決して無いのだが・・・

 仮にテロ組織に捉えられる危険を予知しながらも、”今そこで起こっている出来事” を報道する信念に燃えている程の人であれば、自分が捉えられたら自分の意志とは関係なく国が見えないところで何らかのルートを通じてテロ側と交渉せざるを得ない事、更に解放されたと言う事はテロ組織側が利するところがあっての事だと理解している筈だ。

 自らの信念とは裏腹に “テロ組織側へ利を与えた” 事実は否定出来無い筈で、2日(金)に自ら開いた記者会見では “自己責任”・”自業自得” との事だったが、どう責任をとるのかについて語る事は無かった。

 加えて、”ジャーナリスト” との肩書き故か、ほぼ全て “良かった” 報道だけで、身びいき・偏りが見え見えなので、その事も納得感の無い一因になっている。

 冷静に捉えれば、新聞社・通信社・TV局は所属の記者を安全とされる都市部に駐在させているだけで、危険地域には “フリー・ジャーナリスト” と呼ばれる方達を “傭って” 取材・報道させているだけなんじゃないのか?
 フリー・ジャーナリストは自由な立場で取材・報道すると言えば格好良いが、実態は定常的な雇い主がいない経済的には不安定な存在だ。 危険承知でスクープを得なければ喰っていけないのが現実ではないのか?

 そんなこんなで、人命第一・・・に異論は無いのだが、素直に言えない “納得感” が今ひとつなのです。

 こんな時こそ、”深掘り” して欲しいのに・・・どこの局・新聞社も “触れたくない何か” があるのかと迄邪推してしまう。
 つまりは、触れたくない何か・・・とは、自らは出向かないでお雇いで済まし、エアコンの効いたスタジオとかオフィスと言う安全なところで “あぁ~だ”、”こぉ~だ” と言っているに過ぎない自分等を “自覚” しているんじゃぁ?・・・とすら勘ぐってしまうのです。
 ヤレヤレ・・・
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(*1):こんな居酒屋さんです:
  ”20181018:”ソース” か? ”醤油” か?(アジのフライ)


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