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20181209:暴力根絶は無理々々・・・かな(大相撲) [ただの私見]

 たしか5日(水)の17:30前後だったか、TVでニュース番組を見ていたら
  “速報! 貴ノ岩関 付け人へ暴力沙汰 - 協会が公表

と、MCが興奮気味に一気に伝えていた。

 つい先だって “暴力決別宣言” をやらかしたばかりなのに・・・とは自分は想いません。 何故なら “チコちゃん流” に言えば、
  “相撲発祥の根源が相手を死に至らしめる格闘技だった・・・から~”

で、格闘技には暴力的要素が必ず含まれ、競技者自身それに馴染んでいるからなのです(*1)

 今でこそ “神事”・”国技” を名のっている大相撲だが、相撲は勿論の事、プロの格闘技では相手に勝たなけりゃぁ意味が無い。 意味がある負け・・・なんてきれい事は解説者の言葉に過ぎない。
 勝てば給与が↑/負ければ給与が↓・・・解り易い仕組みだ。

 相撲取りはだから勝つ事に必死だ。 気は優しくてて力持ち・・・なんて事はあり得ない。 見せたとすればそれは芝居だ。

 今回の事件は、一年前に元・横綱日馬富士関を加害者として遮二無二引退させた被害者だった貴ノ岩関が、本性を表したかの様な加害者側になっているのが象徴的だ。 被害者当時は何も出てこなかったが、加害者になった途端、乱暴狼藉常習犯・・・って話が出て来る。
 7日(金)午後にはついに引退宣言へ追い込まれてしまった。

 どういう訳かあまり報道されていない様だが、今は廃絶された貴乃花部屋での暴力事件は裁判沙汰案件もあるし、貴公俊のそれはウヤムヤの内に幕閉じになっている。 同じ暴力沙汰なのにおかしな話だ。

 宣言で暴力行為が無くなるんだったら誰も何処も苦労しない。 厳しい “罰則” が無ければ効力はそれこそ “絵に描いた餅” に過ぎない。 お馴染みスポーツ解説者は何故指摘しないのか、自分には不思議でならない。
 協会&我関せず感の “有識者陣+スポーツ庁” がどう始末つけるのか、見ていこう。

因みに:
 暴力暴行根絶は無理なんだから、もう "国技と名のらせない" ・・・ これが一番って “息巻く” 飲み友がいます。
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(*1)20171214:格闘技に潜む ”暴力的要素” に関する一考察(一部経験論を含)


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