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20190111:”陸上” 養殖の時代(魚) [雑感]

 何でもかんでもと言う訳では無いが、”野菜の水耕栽培” が盛んになってきている。
 養分・水温・日照条件等々、IT-制御の完成度が高まり、試行やモデル栽培の段階を越えて実用化へ入ってきている時代だ。 不安定な気象を当てにしないですむ利便性は換えがたい強みとも聴く。

 "食用魚" についても事情は変わってきている。
 世界規模で観れば既に2013年には天然産よりも “海水養殖魚” の方が多い時代となっていて、更に今後は養殖場を湾等から “陸上” へ移した方式が実用化されて行くようだ:
  日経紙:2018年12月27日付け:
   ”陸上養殖の魚 出番到来-技術進化 企業が担い手に

 これ迄の陸上養殖はコストの観点から “ふぐ” の様な高級魚が対象だったのが、マルハニチロや三井物産が “サーモン” の、日水が “バナメイエビ” と “鯖” の陸上養殖システムの商業化に向けた目処を付け、本年中、若しくは2020年に上市するとあった。

 何せ “漁業権” とは無関係なので地区毎の漁業組合との交渉は不要だし、気象条件にも制限を受けないので、原則、何処にでも養殖場を設置出来る。 野菜同様に IT-制御で量も含めた最適養殖システムを構築していけばコスト問題も解決していく可能性が高い。

 海洋資源問題とも切り離せるのも強みだ。
 なので、技術力のある大手水産事業者や潤沢な資金・情報網を持つ商社等が海外市場をも眺めながら取り組んでいる訳だ。 

 こうしてみると IT が変えていく産業構造は何も工業だけでは無く、農業や漁業も含めたあらゆる業態が対象になっている事が良く解る。 文字通り、情報を効率よく分析・活用していく技術が要なのだ。

 選挙区を考慮して捕鯨再開を決意する事も “現実の政治” かもしれないが、政治家は何よりも変化の激しい先行きを見極めて “将来を考え抜いた産業政策” を決定して欲しい。
 是非ともお願いします。

因みに:
 同じ "人工育成" であっても、海洋資源保護の観点から観て陸上養殖は石油を炊いて本来の季節とは外れた果物の栽培とはエコプロファイルの上で有利と想われます。 専門家のアセスメントを待ちますが・・・


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20190110:東京タワー ”60歳” とか [自分の事]

 行きつけの居酒屋さんでお馴染みの同年配の方から
  「最近、東京タワーへは?」
って聴かれた。

 つい最近、ひょんなことから久しぶりに展望台に行ったという。
 “東京スカイツリー” 開業以後はこちらの塔は閑古鳥が鳴いていると想っていたところ “とんでもない” 話で、海外からのお客様を含めてとにかく観光客が多いのにびっくりしたそうだ。 おまけに年末の23日には “開業60年” を迎えたとの事で、結構人気があるらしい。

自分:
 「全く無し。これ迄に2回。最初はカミさんとのデートで。
  2回目は息子をつれて。それっきり。何せ高い所、好きじゃ無い」

とお答えしたところ、その方も2回目だったという。
 どうやら都民とか横浜市民は行かない、行った事無い人が多いらしい。

因みに:
 そう言えば “マリンタワー”@横浜港にも1回だけだなぁ。
 勿論、東京スカイツリーには行ったことありません。 多分、これから先、行く事も無いでしょう。

ついでに:
 雨の降った翌日、快晴で見通しが良い時、我が家北側の畑の脇から高層ビルに囲まれた東京スカイツリーが小さい針の様に見えます(地図上の直線距離はおおよそ20km強)。
 時には夜、ライトアップされた姿も。


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20190109:”除夜の鐘” 異聞 [雑感]

 年が明けた今頃になって “除夜の鐘” とは・・・なのですが、自分の住むここ(横浜市北部丘陵地域)近くにも神社があって、そのお寺からは毎日、定刻に鐘の音がかすかに聞こえてくる。
 寺も神社も共にその所在はちょっとした竹林等の中・・・っといった感じで、昔からの由緒(?)があるとされている(神社は伏見大社系)。

 そのお寺さんでは、この間の大晦日の晩の除夜の鐘も特段の変わりもなく檀家の方々等が衝いていた様だ。
 寺&神社ともに新年早々の参拝者も何時もと同じ位だったらしい。

 今でも参拝者は昔からの地元在住の方々の方が多く、25~35年程前に越してきた自分等のような “新参者” は少数派の様だ(自分は習慣としないので、懇意にさせて貰っている地元農家の方から聴いた話)

 と言うのも、最近は住宅街に囲まれた様なお寺さんでは鐘の音が “騒音苦情” になっている例が多いそうで、取りやめていたり、昼間の内に済ましてしまう例が増えてきたとの記事を眼にしたからです(日経紙:2018年12月27日付け夕刊社会面)。

 寺の方は住宅街が整備される前からあった筈で、それを承知で住む所と決めたのに・・・改めて “そういう時代なんだ” と何かモヤモヤ・・・

 我が住む所はこんな昔ながらの風物がまだまだ活きている所だが、いつかは里山も開発し尽くされて都内とか横浜市内/川崎市内等へ勤める方々のベッドタウン化していき、鐘の音を “煩わしい”・”うるさい” と言い張る人達で一杯になるのか・・・なんて考えていました。


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20190108:国際捕鯨委員会(IWC)脱退を聴いて [ただの私見]

 この年末に我が国政府が IWC 脱退を表明(2018年12月26日)し、事務局へ届け出たと27日早朝のNHKラジオニュース番組で聴いた。

 “商業捕鯨” をこの7月には再開すると言う。 但し我が国領域内及び排他的経済水域に限るらしい。 それに商業捕鯨と言っても大手水産業者が参加する見通しは無く、僅かに小規模・数艘程度らしい。

 IWC って、”海洋資源” を守るなんて “実は建前” に過ぎず、煎じ詰めればそこを牛耳っているのは “鯨は頭の良いほ乳類。食べるなんてもってのほか” 的感情論派であって、自らの価値観を押しつける問答無用の世界だ。
 鯨が無限に増え続けて魚を食い潰す様になっても反捕鯨の主張は “変わりはしない”(”山岡四郎” さん@美味しんぼもそう言っている)。

 でもって、その彼等は “頭の良くない” と勝手に判断して牛や豚を喰らう訳で、”生物多様性” なぞお構いなしだ。 人・動物・植物を含むあらゆるモノ・事の “価値観の多様性” を言い出したのは他ならない IWC-反捕鯨派と同じ人種なのが実に空々しい。

 反捕鯨派諸国(*1) の多くがそもそもがと言えば高緯度に位置しているので生物多様性自体に乏しい国々であり、固有の生態系には恵まれない地域だ。
 大昔は鯨油取りに邁進していたくせに石炭石油に目処が付くやいなや、ほ乳類としての鯨に目を付けて反対し、勝手に南極&とインド洋の公海域に鯨の聖域を設けている始末だ。
 自分等のカルチャー&価値観を優先して押しつけているに過ぎない。

ところが:
 我がワイフ殿から聴いたTVワイドニュース番組とか週刊誌情報によれば、自民党幹部の “反-反捕鯨” 派の意向が強いとかの “きな臭い” 話もある様で、これはこれで聞いて呆れた。

だが:
 我が国の昔からの “食文化を守る” ・・・ と言うのであれば、しっかりと “理論武装” して私ら国民への説明と反捕鯨国&団体への対処が必要だ。
 30年間話し合っていたが反捕鯨派との折り合いがつかないから・・・では説明になっていない。 これでは “ディベートで負ける” に決まっている。

ところで自分の食経験は・・・:
 今は大昔の話、親父どのに連れて行かれて故郷(鳥栖市@佐賀県)を訪ねた折り、親類筋が集まって歓迎会があったのだが、その時に出された “肉料理が鯨肉” だった。
 今から想えばそれは “ご馳走” だったのだろう。 日本は未だそういう “貧しい” 国だったのだ。
 が、自分は一口食べて初めての “異様” な味に吐き出しそうになって面食らった事を覚えている(その頃の我が家では、親父どの&お袋様の考えがあったのだろう、乏しい家計にも関わらずに日曜日夕食は “牛すき焼き” に決まっていて、”肉=牛” しか知らなかったのだ)。

 その後、鯨肉を食べた事は50歳を越える迄一度たりとも無かったが、観光で訪れた高知市(56歳前後)、それと仕事で出向いた東大阪市(65歳前後)で味わった時があった。  “幸い” な事に既に “お酒” を覚えていて、そのせいだろう、その席では何でも無かったが、正直に言えば特段の印象は残っていない。

 かっては20万トン/年を越えていた消費量も今はその1/100程へ激減しているそうだ。 何しろ食べる機会の有無以上に、今は肉料理は味付けも含めて多種多様で、私らの食生活は昔とは大違いだ。
 なので、商業捕鯨が再開されて、たとえ供給量が↑しても消費量が上向くかどうかは不明だ。 自分自身、自ら食する気には “とてもじゃないが” ならない。

 お隣大陸国家の様に、気に入らなくなれば国民に不買運動をさせて一挙に情勢挽回出来るなら良いんだが、我が国は極めて紳士的な国だから反捕鯨派諸国相手にそうはいけない。
 なので、古来からの食の風習を守るが故に世界に対して “見得” を切ったからには、私らに何が必要なのか、解り易く説明して貰いたい。 政府にはその責任があると想うのだが・・・

もしもの話は余り意味が無いが:
 “牛を神の聖なる使い” と信ずる国が軍事・経済のあらゆる面で世界最強国になって問答無用で他国へ牛の食用を禁じたら、食べるために牛を飼育していると言い放す IWC 主流派はどうなるのだろうか。
 因みに自分は魚介類や鶏肉を使ったケイジャン風料理の方が好みなので “牛食禁止令” が出たとしても一向に困らない・・・もっともそういう時代になる迄、生き延びて入ればの話だが (>_<)
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(*1):因みに、新聞各紙によれば IWC に於ける
 反捕鯨国:アングロサクソン系(英国、オーストラリア、
      ニュージーランド、米国)、オランダ、ドイツ、ブラジル等48カ国
 捕鯨支持国:中国、韓国、アイスランド、ノルウェー、デンマーク、
      ロシア等41カ国

だそうです。

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20190107:冬は ”カーゴ・パンツ”(ウォーキング時)& ”寝袋”(寝る時) [自分の事]

 今季は暖冬・・・のご託宣だったのに、今日この頃はやはり寒い。
 一年前から “冬は寝袋(*1) としているが、何時もの飲み友の “お薦め” があってウォーキング用に冬仕立ての “ブカブカ” サイズのカーゴ・パンツ(要するに膝上辺りにポッケのついた “作業衣” です)を手に入れてみた。

 ウォーキングの時、恥も外聞も無くジーンズの上から重ねて履くとこれが大正解!
 寒風がきつい時でも腰から下はホカホカで助かっています。
 あとは “ジェイソン” の様な顔マスクがあれば・・・なんて想うが、さすがそこまでは・・・(>_<)
 今は大昔、スキーで使った顔マスクで我慢しています。
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(*1):こんなブログでした:”20180110:冬は寝袋”


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20190106:正直言って自分の理解が追いつかない・・・(”ボヘミアン・ラプソディ”) [ただの私見]

 この “伝記映画” が公開されるや、このブログでも高く評価・絶賛される方々がおられ、”Queen” を詳しくは知らない自分も多少関心を持ってネット漁りしてきた。

 映画自体、世界的に関心を持たれているとの報道があったし、そのせいもあっての事なのだろう、NHKBSプレミアムでもこの題名の付いた解説番組(”ボヘミアン・ラプソディ殺人事件”)が放送されていたので録画した上で何回か繰り返して観た。

 が、これは殆どが現地に出向いて関係者等にインタビューしているだけで、言ってみれば “お手軽” な番組だった。 まぁ、無理も無い。 2002年放送版再放で、今日的な新たな解釈は全く無かったしなぁ。
 ただ、マスターテープが発見されて、超多重録音されている事には驚いたが・・・

 正直、自分の世代からは少なくとも20年程はお若い方達のロックで、”E.プレスリー止まり” の自分には “曲” はともかく、良く理解出来ない “詞” だ(何せQueenは1973年登場の様で、とすれば既にプレスリーは活動しておらず、自分のR&R/R&Bへの興味は "歳相応" に薄れて来ていたのです)。

何故 “ボヘミアン” なのだろうか:
 ① 主役であったF.マーキュリーは両親ともにペルシャ系インドの方で、
  1970年代の英国では “異分子” だったと想われる
  (英国TVドラマ仕立てミステリーではインド系英国人の “微妙な”
  立ち位置がたびたび登場する)
 ② 故に定点的な “居場所” を定めるのが難しかったのか、
  放浪の民(”ボヘミアン”)とされた北インド発祥とされる “ロマ”
  (昔は “ジプシー” と言った)に自分を準えた

と解したが、こんな単純な背景観察で果たして良いのだろうか・・・とすればこの歌は “悲劇的な生涯” を閉じた彼自身の “プライベート・ソング” に他ならなくなるのだが。

 ならば、この歌をカバーしている方も結構居るようだが、それにどれ程の意味があるのか、良く理解出来ない。 但し、”プログレ+グラマ” ロックに共鳴して・・・なら、少しは解る気がします。

次に、何故 “ラプソディ” なのだろうか:
 確かに
 ① 歌詞の構成が複雑(単純なオールディーズ好みの自分にとっては)
 ② 歌詞毎にメロディの移り変わりも複雑(〃)
なので一般的な意味ではラプソディに違いないのだが・・・

 加えて、歌詞の “意味” するところ、特に “比喩的な” 箇所の意味が自分には “全く” 解らない。 こりゃぁ英語をネイティブの様に理解出来ない自分にはついて行けない・・・正直な印象です。

 でも聴き込むにつれて解りかけて・・・?
 もし出来たら(歌詞にある様に “real” だったら)なんて想うのは後期高齢者にとっては “fantasy” に過ぎないかも ・・・
 うぅ~ん、20年程遅く生まれていれば多分理解出来たかも知れないが、今となっては一言、難しいです。


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20190105:消えゆく ”初鳴き日”/”開花日”(生物季節観測) [雑感]

 昨年は異常に桜の開花が早かったし、梅雨もあっと言う間に過ぎ去った後はとてつもない夏が来て、”ヤレヤレな年” だった。

 そんな折も折、鳥や虫の “初鳴き”植物の “開花” を記録する “生物季節観測” が成り立たなくなってきたそうです( 一ヶ月前のお話ですが ・・・ (>_<) ):
  日経紙:2018年12月5日・夕刊)
   「初鳴き」 「開花」 消えゆく - 季節知るすべ 都市化で危機

 日経紙にしてはやけに “情緒溢れる” 記事でした。
 生物季節観測では、各地の気象台が定められた地区で “初見日”(生物)、”初鳴日”(鳴き声)や “開花日”(花)を記録して “季節の移ろい” を確認する仕組みらしい(1953年から始まっているとか)。
 23種の動物&34種の植物が観測対象となっている。

 ところが、既に東京で観測できない年が続くものとして
  植物:ヤマツツジ、在来種タンポポ
  動物:ウグイス、ヒグラシ、ツバメ、シオカラトンボ、赤とんぼ
等が挙げられていた。

 が、今の住まい地区(横浜市北部丘陵地帯)では、赤とんぼは見かけない(?)ものの、ウグイス、ヒグラシ、ツバメ、そしてシオカラトンボは聴いたり見たりしている。 そう言えば、ツバメは逆に数年前から再び見かける様になったのだった(*1)

 里山らしき所だし、それだけ都市化が進んでいないところが残っている証拠かも。
 “カラス” もたくさん、”蝙蝠” もたくさん見かける。 時に ”狸” さえも・・・が、これ等は観測対象ではなかろうて・・・

 今年はどんな季節の移ろいになるのだろうか。
 異常に寒い正月を迎えて桜の開花日/桜前線便りだけが待ち遠しい自分はボーっと生きてる証かも・・・ (>_<)
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(*1):大部前の投稿ブログです:
  ”20170520:ツバメを見た”

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20190104:羽生善治八段27年振りの無冠・・・を聴いて [ただの私見]

 将棋界において前人未踏の記録を持つ羽生八段・竜王第31期竜王戦で挑戦者広瀬章人八段に屈した(2018年12月21日)。
 “ついにこの時が来たか” と言う方々がこのソネブロでも多い様に想えました。

 将棋の世界では既に AI で武装したコンピュータ・ソフトウェアの方がプロよりも強い時代だが、かといって将棋の魅力が無くなった訳では決して無い(囲碁&チェスでも同じでしょう)。

 将棋を教えて貰うのが身内の人から、例えば “お爺ちゃん” からの世代は “とっくに昔” の話で、今では幼少時から “ソフトウェア” で教えられ、その実戦の場として “将棋教室=道場” で鍛えられる。
 でもって、プロが重ねて来た “定石” に囚われない自由な発想の若手の活躍がそれこそ “半端ない” のが今の将棋の世界の様に自分には想える。

 羽生八段も AI には多大な関心を寄せておられる様で、最強のソフトウェア:”アルファ-ゼロ(*1) の差し手を観て、中盤で王将を動かす戦法に感心されていたとの報道もあった。

 “ヘボ” が幾つも付く将棋しか指せない自分だが、羽生八段は今 AI-ソフトウェアの “真髄” を捉えようとしていて、暗中模索している一種の “プラトー状態”( ⇒ 敢えて言ってみれば “停滞状態”)にあるのではなかろうか。
 自分の様な素人でさえ今回の竜王戦第6局のあまりの早々の投了からして中途半端の様な感じがします。

 まだ48歳だ。
 彼が “オール・タイム・チャンプ” である事は誰も異を唱えないと想うし、挑戦が続く意志がある限りは考える脳は衰えないらしいから、きっと復活して呉れる・・・と信じています。
 羽生さん!頑張ってっ!
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(*1)20181222:”衝撃” と ”嘆き”(”AI” :アルファゼロ@ディープマインド社@グーグル)

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20190103:正月そうそう ”大根の葉っぱ” でほんのり幸せ? [食]

 年末に、我が家の北側に拡がる畑で栽培された大根を葉付きのまま戴いた。
 程よく太った青首大根
 取り立てを囓ったら、かすかに上品な甘みがあったので、煮たり、おろしで使うよりも細身の刺身にして食するのが自分には一番だ。

更に:
 正月も二日目ともなるともう “おせち” に飽きてきて “やおら” この大根のことを想い出した。
 “葉っぱ” があった筈だ。
 でもって、調理・・・と言うほどでは無いが、葉っぱを切り刻んで茹で、次いでニンニクで香り付けしたオリーブオイル炒めにした。 少しだけ塩胡椒。
 辛口白ワインで合わせたら旨い肴になりました。
 今更ながら、葉っぱを捨てるなんて、”モッタイナイ” です。

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20190102:”イメージ・キャラ” の捉えられ方(”オット”@プラダ) [ただの私見]

 年末に向かった第3週、世界的ファッション・リーダーの一角を担うアパレル・メーカー “プラダ”(@イタリア) が新しく世に出したイメージ・キャラ:”オット” が “黒人蔑視” と捉えられ、早々に取り下げたニュースが駆け巡った。

 肌を黒色、分厚い真っ赤な唇・・・相当デフォルメされた “ちびくろサンボ” の様な人形をイメージさせている。
 12月央、NY市内の店舗ショーウィンドウで展示されていたのを反差別・人権活動家として知られる弁護士が見つけ、ネットで糾弾、ボイコットを呼びかけた所、反応は素早く、すぐさま所謂 “大炎上” となった。 プラダはすぐさま “言い訳コメント” を出し、キャラの売り出しも中止したと言う。

 興味深いのは、同じキャラが11月から日本でも公開・売り出されていたものの、”誰も問題としなかった” 事だ(恐らくはヨーロッパ各支店でも公開されていたに違いない)。

 TVニュースで問題のキャラを見た。 ”可愛げ” に受け取った人もいれば、一方ですぐさま “黒人をさげすんでいる” と捉える方がいて、そう敏感に受け取る人達が沢山いるという現実・・・それが即ち “差別” と見なされる根拠となっていて、大きな “うねり” となっている。

 皮膚の色による差別は禁止となっている時代ではあるが、人間の意識下の感情迄を法とか道理では支配し難いのが現実だ。 根拠の無い感情の筈なんだが・・・

 TVの報道番組では “したり顔の解説者” ばかりだったが、1960年には “だっこちゃん” が大流行した日本・・・今ではあの当時の人形そのままでは大問題視される事必定だが、それだけ我が国でも人種差別が無くなったと言える事になるのか(だっこちゃん・・・実を申せば我が家では今でも “健在” だ)。

 それにしては外電が伝わる迄は誰も何処の新聞社・放送局も問題としていなかった事がなぁ・・・おまけに自分は見事に逆襲された経験があるし(*1)

そう言えば・・・:
 何時だったか、パリで料理人としての修行を続けている日本人の方の活躍話を紹介したTV番組があって、その中で
 「職場では特段の差別は無い。
  が、自分が地下鉄を利用する時、シートに座ったりすると隣の席が空いたままの
  時が多い・・・ここでは自分は “異分子” なんだな・・・と感じる」

って言うような事が紹介されていた。
 これをすぐさま差別と捕らえるかどうかは別として、逆の現象、つまりは、我が国でも同じ様な経験をされている海外からの留学生・赴任者&そのご家族の方々や観光客がおられるのかも・・・
 人の心の有様は複雑で、なかなか理屈通りにいかない。 難しいです。
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(*1):こんなブログ投稿した事ありました:
 “20180504:”偏見”・”差別” は無くなるのか

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20190101:”ブラザー・カドフェル” に出会う(修道院ミステリ@中世英国) [ミステリ三昧]

 新年明けましておめでとうご御座います。
 本年もよろしくお願い申しあげます。

と言っても年末押し迫った折の行きつけ居酒屋さんで:
 最近こちらに越して来られた中年男性から
 「”修道士カドフェル” って知ってます?」
って訊かれた。

 自分:「E.ピーターズの? 確かもう亡くなっていたはずだが・・・」
 某男性:「そう。 さすがよくご存じ」
って “褒められ” た。

 11世紀、英国中西部のシュロップシャー州シュルーズベリ(って言っても行った事無いのでどういう所か知らない)にある大修道院を舞台に繰り広げられる一風変わった推理シリーズだ。
 主人公カドフェルは “十字軍” に参加した経験を持ち、その間に “薬草” についての知識を蓄え、修道院では医療にも勤める特異な地位を維持しており、しかも “人間観察” に長けている。

 確か20編ほどのお話があって、欧米熱烈ファンの “聖地巡り” が流行った事があったと聴いている。

 我が国では平安時代後期の大昔の頃のお話。 しかも修道院と言う世俗社会とは隔離された風変わりな生活環境下で実にいろいろな事件が起こる。
 中世の英国・・・見知らぬ世界の出来事と言う事もあって、集中して読み込んだ時期があったのです(四半世紀頃前の話です (>_<) )。
 “ベッド・ディテクティブ” ものとして最高傑作とも言える “時の娘” (ジョセフィン・テイ)(*1) を読んで英国の昔モノに興味を持ったのがきっかけでした。

 件の某男性に 「どうして?」 って訊いたら、「偶然手に入れて読んだら魅入られて・・・」 今、嵌まっているのだと言う。
 どうやらマスターから自分がミステリ好きな事、聴いたらしい。

 “昔、NHKでシリーズが放映されていましたよ” って言ったら、”DVD探す” って。
 そんでもって念の為ネットで調べてみたら "新品DVDは絶版" らしい。 残念でした。 言ったらがっかりするだろうなぁ。
 現役の勤め人なので今すぐって訳にはいかないだろうが、”一度現地で聖地巡りでも” ってお薦めしておこう。
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(*1):ブラザー・カドフェルが活躍した時代から300年程経った “薔薇(バラ)戦争” 時代に非道な王として知られるリチャード三世の “悪人伝説” の信憑性に疑問を感じた警部が “文献だけから” 推理する。 この警部は捜査中の不慮の事故から入院していて、部下にいろんな文献を持ってこさせて思いを巡らせる訳だ。 歴史ミステリ不朽の名作とされる(ハヤカワミステリ文庫’キャッチコピーから一部抜粋)。
 ついでながら我が国の同じような例では “高木彬光著:成吉思汗(ジンギスカン)の秘密” があって、”義経=成吉思汗” 説を “名” 探偵・神津恭介が推理するお話がありますが、これはちょっと・・・


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