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20190428:何故 ”関心” を持たれ続けるのか(故・松本清張氏) [ミステリ三昧]

 “生誕110年” を記念した催しが “神奈川近代文学館”@横浜市で開催されている:
   ”巨星・松本清張” 展(2019年3月16日~5月12日)

 直筆原稿(”或る「小倉日記」伝”、”点と線”)、創作ノート、眼鏡とかモンブ*ン製万年筆&インクポット等々の遺品群の展示に加えて講演会、朗読会、映画鑑賞会等も企画されていて好評だ(参照:日経紙2018年4月20日付け朝刊文化紙面)。

 彼の作品は社会派ミステリー、(古代史等を介した)歴史小説、時代もの、近代、特に昭和史等々の広い分野をカバーしていて、個人ではとても全てを読みこなせない。

 ミステリーものの多くは、映画化は勿論、NHK及び民間TVキー局の全てでドラマ化されているが、果たして今のお若い世代になじめているのだろうか。
 因みに我が家では過去の映画&TVドラマのほぼ全てをディスクに納めていて、その数は100本を優に超える。

 つい最近にも “平成最後の” とのキャッチコピーで放映されていたが、“砂の器” は繰り返し映画化されTVドラマ化されてきたものの、その都度に “変質”(←”劣化” とは言いません)して “オリジナル・コンセプトからの乖離” が大きくなり、初版本をオンタイムで読んだ経験者からすれば物足りず、納得感が無い。
 主役の刑事/犯人役で観れば、故・丹波哲郎/故・加藤剛が演じた初代映画版(松竹/橋本プロ;脚本:橋本忍/山田洋次;1974年)、それに仲代達矢/田村正和が演じたTVドラマ版(フジTV系;1977年)を超えるものは無い・・・とは自分なりの判定だ(敬称略)。  

 彼の作品に込められた底には “怒り” があった様に自分は感じ取る。
 人間社会にこびりついた理不尽への叫び・糾弾だったと想うが、今の社会に通じたモノを何となく嗅ぎつける人達がいる限りは令和の時代になっても感心を持たれ続けているのではなかろうか。

 40歳を超えてデビューを果たした彼に当時の文壇幹部連は冷淡で、あえて無視していた事をよく覚えているが、その彼等のほぼ全員が今では顧みられない存在になっているのは何とも皮肉な結果だ。

 昭和史発掘や戦後米軍占領下での未解決事件を独特の視点から眺めた “日本の黒い霧” 等は自分の好みからは離れているが、一方で初期の所謂社会派ミステリーものには斬新な “初出トリック” が創作されていて、中には未だに通用するのでは・・・と想うモノもある。

 そう言えば、いつだったか、NHKが回顧する番組の中で森村誠一氏が
   「彼が英語圏で生まれ育って創作活動していれば
   とてつもない評価を得ていた筈」
の様な事をコメントされていた。

 それを感じ取っているのか、最近は故・松本清張氏へ敬意を著す若手作家も輩出してきたそうだ(冒頭引用紙)。
 本物は時の流れがもたらす “色褪せ” を寄せ付けない・・・と言う事かも知れません。
 以上、現役時代を知る自分の “松本清張・考” であります。

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