SSブログ

20210603:どんな豊かな定住生活だったんか?(縄文時代) [雑感]

 喜ばしい事なんだろうが、今度は "縄文遺跡群" が世界遺産に登録となるそうな。
 ユネスコの諮問機関が5月26日に
   "北海道・北東北の縄文遺跡群"

を世界遺産に登録する様に勧告したそうだ。 諮問機関の勧告が退けられた事は無かろうから、登録は決まった様なモン・・・と言う事らしいデス。

 日本史にも詳しくない自分は、最初に "北海道・北東北" の文字を見て、"北海道の北東北地方" と読み違えていた始末で、お恥ずかしい限りだ。
 ここで言う北東北とは、もちろん青森県・岩手県・秋田県を指していて、合計17遺跡群が対象らしい。 この中で知っているのは三内丸山遺跡@青森市だけだったのも、いい歳したおそ松くんだった。

 うろ覚えに過ぎないが、自分が習った縄文時代とは大凡1.5万年前頃から2~3K年前辺りだったか(?)。 食べ物を追い求める移動に明け暮れた生活・・・と言うものだった。 何か、解説図でも惨めったらしい絵柄だった記憶しか無い。

それがなんと・・・:
 大陸から稲が伝わる以前、森や海からの産物に10K年もの持続的恵みを得ていた豊かな定住生活だったと言う。 一万年とは気の遠くなる様な永い*2期間だ。

 地道な研究が進んでいた訳で、・・・学問の世界も広いもんだ。 でも何を以て "豊か" な生活・・・って言うんだろうか。
 定住していれば、住まいとか備蓄庫等の整備が進み、小規模の村の様な集団生活圏の中で "職業" や "階級" が生まれて、今に続く社会構造の "根っこ" が形成されるていくのかも・・・農耕が始まればその秩序形成は更に加速されるのだろう。
 自分には勿論想像すら湧いてこないものの、世界最古の "文明のゆりかご"(今は昔、"四大文明" と習った記憶があるが、これは日本だけの言い方らしい)の時代とも重なり合う・・・とすれば、我らの祖先が永い*2旅路の末にこの列島に辿り着き、石器時代等を経て縄文時代をそれなりの秩序形成をして過ごし、次いで弥生時代を迎えようとしていた訳だ。
 メソポタミア等で文明が芽生え始めていた時とそう変わらない時期、我が日本は未開・・・ってな授業しか受けていなかったから、何とも変てこな感じだが、誇らしい(?)。

共通テーマ:日記・雑感