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20200716:”新しい日常”(ニュー・ノーマル)に移行出来るのか [ただの私見]

 ”ニュー・ノーマル” は、本来はあの "リーマン・ショック" 後の金融恐慌に襲われた世界の経済状態を表す用語として米国人によって提示された米語だ。
 即ち、我が国にとっては "輸入された概念" だが、今回のコロナ禍でも盛んに "コロナと共生" せざるを得ない "新しい生活様式" として盛んに用いられている。
 但し、これも海外が先んじていて、目聡い政治家や感染学者がこぞって使い始めた用語だ。

しかし:
 感染学者自身から、100年前のスペイン風邪、近年の新型インフルエンザ、マーズ/サーズ等から "何も学ばなかった" と言われている我が国が、果たして今回のコロナ禍でニュー・ノーマルへすんなり移行出来るのか。
 マスクだけはしているものの、既に3密をどこかへ置いてきぼりにしている様な有様をTVニュースを観ていると、危機感に乏しい上に、いくら物忘れ名人の日本人だとて
   "こりゃぁ、あかんなぁ"

・・・ と想うのは自分だけでは無い筈だ。
 つまりは、相変わらずの "喉元過ぎればなんとやら" ・・・ が、性懲りも無く繰り返されている訳だ。

 結局のところ、移行出来るのはごく一部の先読みする民間企業&個人だけで、多くは "コロナ前" に戻ろうとするものの、(世界に)通用せずに殆どが "討ち死に" していくのでは・・・と自分は悲観的に捉えている。

実際のところ:
 先に開催された新型コロナウイルス感染症対策 "分科会" でも、相変わらず "経済再生担当" 大臣が "コロナ担当" を兼ねている事は、とりもなおさず
   "コロナ禍対策に関しては政治には何も期待出来ない"

事を意味しているとしか考えられない。
 このお方は未だに "市中感染は起きていない" ・・・ って言い切っていて、その根拠も何も示さないのだ。

 ましてや、おったまげた事には前倒しで "GoToキャンペーン" をやらかして、首都圏から新型コロナウイルスを全国へ撒き散らすのが政府のとる経済再生だから呆れるほか無い。

 その上、分科会会長が専門家会議時代から何回も指摘していたスローモーな "目詰まり保健行政" の改革だって、厚生労働省の壁を打破しない限り不可能だから、これまた出来ないだろうと自分は踏んでいる。

それもその筈:
 医療ガバナンスに詳しい学識者の言によれば、厚生労働省の保健衛生行政にとっては、"国民の生命を守る" 事が使命だが、それは建前であって、現実には保健所&医療機関支配権の独占、即ち "省益死守" を何よりもの優先事項としているとの事だ。

だから:
 米国流の疾病予防管理センター(CDC)の創設が話題になる事はあっても、霞が関界隈は完璧な縦割り世界であって、これを守り抜く事を旨としているから、たとえ日本版CDCは創設されたとしても省庁横断組織能は持てずに、抜け穴だらけの組織になる事、請け合いだ。

ところで:
 今回の新型コロナウイルスは、海外研究機関から "エアロゾル感染能" を持っている事が臨床的検証が出た様だし、また中国からは感染者の持つ "抗体も永続的では無く2~3ヶ月で激減" するとの報告もあった様だ(インフルエンザと同じだ)。

これらが本当なら・・・:
 たとえ実用化されたとしてもワクチン摂取は定期的でなければ効果は期待出来ないし、今の政策では無感染症者は限り無く加害者となって感染拡大は収まりようが無い。

 これこそが正に "ニュー・ノーマル" のあるべき姿を示唆している様だ。
 つまるところ、"誰でも" "何処でも" "何時でも" 希望者は定期的なPCR/抗原/抗体検査を "保険" で受ける事が出来て、"陰性証明" を携えて社会/経済活動に携わる仕組みだ。

 こんな先験的な取り組みを今の厚生労働省には望むべくもないから、先読み企業が自主的に実施しているに過ぎない(*1)

そんな訳で・・・:
 "ヤバい" ・・・ としか言い様がない。
 先ずは政治が変わらない限り "日本沈没" ・・って事になりかねないとの認識こそが必要だ・・・と想う次第です。
 まぁ、それを望んでいる国が直ぐ側にいる様だけど・・・
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(*1)20200706:PCR/抗原/抗体検査は ”ビジネス・ツール” へ(コロナ禍)




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