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20230203:”倍速” でも観るに耐えない・・・ [ただの私見]

 我が家に対面するご家庭には2年生になった大学生がいるのだが、聞くところによると未だに半分以上がリモート授業だという。 キャンパス・ライフを楽しむ・・・なんて無いって事だ。
 そのリモート授業であってさえ、オンラインはともかく録画版を自分の都合に併せた時間帯に "倍速" で受ける事が多い様で、回転の速い頭脳の持ち主であれば飲み込みが速く、倍速であっても何ら問題無い様だった。

 この話を聞いてから数日後に次のエッセイが眼にとまった:
   北村匡平氏:連載エッセイ - プロムナード
     "倍速視聴させない人"
   (日経紙:2023年1月28日付け夕刊くらしナビ紙面)

 この記事の中で氏は倍速視聴OK事例として
   人物を深く掘り下げて描くのではなく、
   ただ謎があって、
   その解明が先送りされるだけ。
   物語の筋を追えば事足りる。

・・・を示しておられる。 勿論この見解に "異論は有り様が無い" 当たり前の事に過ぎない。

 一方で、こうはいかない事例としては故・小津安二郎氏監督の映画作品を挙げていて、倍速では主役を演ずる事の多かった故・笠智州氏がチャップリンのごとくコミカルに躍動し始めて大変な事になってしまう・・・とのご指摘だ。

はて・・・:
 この指摘には同意しかねる上に、チコッとピント外れ・・・と想うのは老生だけかも知れない。

と言うのも・・・:
 極く最近の事、BSTV松竹東急でこの監督作品を一週間程続けて放映していた。
 老生にはどの作品も
   - 話が単純にして、その進行がチンタラしていて遅過ぎ
   - 登場人物が紋切り型
   - 夫婦間対話もあり得ない程の陳腐さ
   - 画面の固定時間が異常に長く、かったるい

等々で、我慢しきれずに倍速鑑賞したが、北村氏が指摘されていた様な意味で観るに堪えない訳では決して無かった。
 むしろ筋を追い易くなったのは良いのだが、筋そのものに深みがいよ*2以て感じ取れず、共鳴するところが全く無い・・・この意味で "倍速鑑賞にも" 耐えきれない事の方が問題だとの認識だ。
 こういう言い方は礼を失した上に "単純かつ乱暴過ぎる" と顰蹙を買うのは承知だが、1950年代において通用していた作品との印象だった。

 名をなした先人の作品を後生大事に保存する事は現在を生きる私等の責務の筈だが、その作品意義を常に問いかけ続ける事も重要だ。 常に今日的な意味意義を問いかける事こそ評論家/批評家諸氏のお仕事であって、それをしないでいるのは "怠慢" ではないのか。
 時代の流れの中で消えていかない作品こそが価値ある作品であり、過去に名声を勝ち取った作品をあげつらうだけでは評論家たり得ない・・・そう想うのだが、ご訪問戴いた皆様はどう思われますか?

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