20190211:これって ”真逆” ?(”働き方” って言うか、むしろ ”生き様”) [雑感]
国それぞれの違いがあるのは当然だとしても、太平洋を挟んでこれ程の “真逆” を何と、そしてどう捉えれば?
米国では “FIRE” が・・・:
“FIRE” とは、
”Financial Independence, Retire Early”
の略だ。
即ち、米国の若者、と言っても一部の(”才能” にも “財力” にも)恵まれた若者に限っての事だろうが、早い内に “経済的な独立” を勝ち取り、”早々に引退” して残りの人生を自由に(!)送って自己実現を図ろうとする考えに関心が寄せられているらしい:
日経紙:2019年1月26日(土)朝刊
”40歳で引退 「FIRE」 運動 - 米の若者で拡大”
所謂 “ミレニアル世代” (1981-1996年生まれ)は職探しの時期が金融危機と重なり、資本主義・自由市場への懐疑心が強く、また学生ローンも抱えている事から、早めのリタイアを経て “(恐らくは好きでも無い)仕事に縛られた人生” にケリを付けたいとの想いらしい。
彼等彼女等は多種多様な物品に囲まれた物質主義の生活からの解放を願っているのだろうか。
救いようのない貧困と絶望に囲まれた “ラスト・ベルト” に済むプア・ホワイト(*1) とは余りにかけ離れているのだが・・・
我が国の勤め人は?:
対して我が国の勤め人は実質65歳定年制を越えて “70歳代迄働きたい” 意欲を持つ方が多いとの調査結果が最近あった。
おまけに厚生労働省は公的年金の受給開始年齢を現在の65-70歳を越えて75歳迄とする事を検討し始めたそうだ:
日経紙:2019年1月26日(土)朝刊・第一面トップ
”年金開始75歳も選択肢 - 高齢者就労の呼び水に”
高齢になっても働く意欲を持つ事を否定するつもりは無いが、堅実な生活で済ませて経済的な懸念を無くし、現役の頃はそれ故に叶わなかった自己実現に向かうのが濃度の濃い本来の生き方だと自分は考える。
それを後期高齢者層の入り口迄就労させる背景には、我が国が抱えている社会構造変化に関わる課題、即ち解決手立ての見つからない未曾有の人口減に加えて、肝心の年金へ廻すべき国家予算が窮屈で、憂うべき状況にあるから・・・が本音なのでは。
つまりは、少なくなる若手層を補う担い手として高齢者層を当て込んでいる思惑が見え見えだ。
結婚し、子供を育てる方向に向かない若い方達が何故こうも多いのか・・・その背景分析から国として若い方達へのビジョンを描いてみせる政治が本来必要な筈だが、それが無い・・・って事かしらん。
でもって、例の “麻生某失言大臣”:”「生まない方が問題」 発言” になっちゃう訳だ。
彼を擁護するつもりは1000%ないものの、”DINKS ( Double Income No Kids = 収入二倍・子供無しで生活エンジョイ)” なんて用語を流行らせたマスコミにも責任の一端はあると自分は想うのだが・・・(>_<)
それにつけても:
海の向こう側の超早期リタイアに向けた考えとの違いの何と大きい事だろうか。
“人生は自己責任” と考え、成人になったら即座に親から独立する事が当たり前の海の向こうの方達・・・国の成り立ちからして違うし、理解するにはバリアが高過ぎるのか?
日々を生きる事に対する真逆の考え方についての記事が同じ新聞・同じ日に掲載されていて、少しだけ考え込みました。
余計な事なんですが、ついでの憎まれ口(?):
今の時代、”若いもんにはまだまだ負けない” ・・・ なんて言う年寄りがどれだけいるのか、自分には解りようも無いが、”負けない” なんて言い張る事自体、”負けている証拠” だ。
年寄りが若者に負けても、”生物学的に何ら不思議は無い”。
加えて、居座る年寄りは若者にとって “迷惑” 以外の何物でも無い・・・自分等がそうだった様に、今の若い方達がそう考えてもちっとも不思議じゃぁ無い筈だ。
だからして自分は “FIREの考え方”、もう何十年か前に到達していれば違った人生だったかも・・・とも、ちょこっとだけ妄想もしました。
-----
(*1):こんな感じです:
”20181203:”廃橋”(はいきょう)・・・”
米国では “FIRE” が・・・:
“FIRE” とは、
”Financial Independence, Retire Early”
の略だ。
即ち、米国の若者、と言っても一部の(”才能” にも “財力” にも)恵まれた若者に限っての事だろうが、早い内に “経済的な独立” を勝ち取り、”早々に引退” して残りの人生を自由に(!)送って自己実現を図ろうとする考えに関心が寄せられているらしい:
日経紙:2019年1月26日(土)朝刊
”40歳で引退 「FIRE」 運動 - 米の若者で拡大”
所謂 “ミレニアル世代” (1981-1996年生まれ)は職探しの時期が金融危機と重なり、資本主義・自由市場への懐疑心が強く、また学生ローンも抱えている事から、早めのリタイアを経て “(恐らくは好きでも無い)仕事に縛られた人生” にケリを付けたいとの想いらしい。
彼等彼女等は多種多様な物品に囲まれた物質主義の生活からの解放を願っているのだろうか。
救いようのない貧困と絶望に囲まれた “ラスト・ベルト” に済むプア・ホワイト(*1) とは余りにかけ離れているのだが・・・
我が国の勤め人は?:
対して我が国の勤め人は実質65歳定年制を越えて “70歳代迄働きたい” 意欲を持つ方が多いとの調査結果が最近あった。
おまけに厚生労働省は公的年金の受給開始年齢を現在の65-70歳を越えて75歳迄とする事を検討し始めたそうだ:
日経紙:2019年1月26日(土)朝刊・第一面トップ
”年金開始75歳も選択肢 - 高齢者就労の呼び水に”
高齢になっても働く意欲を持つ事を否定するつもりは無いが、堅実な生活で済ませて経済的な懸念を無くし、現役の頃はそれ故に叶わなかった自己実現に向かうのが濃度の濃い本来の生き方だと自分は考える。
それを後期高齢者層の入り口迄就労させる背景には、我が国が抱えている社会構造変化に関わる課題、即ち解決手立ての見つからない未曾有の人口減に加えて、肝心の年金へ廻すべき国家予算が窮屈で、憂うべき状況にあるから・・・が本音なのでは。
つまりは、少なくなる若手層を補う担い手として高齢者層を当て込んでいる思惑が見え見えだ。
結婚し、子供を育てる方向に向かない若い方達が何故こうも多いのか・・・その背景分析から国として若い方達へのビジョンを描いてみせる政治が本来必要な筈だが、それが無い・・・って事かしらん。
でもって、例の “麻生某失言大臣”:”「生まない方が問題」 発言” になっちゃう訳だ。
彼を擁護するつもりは1000%ないものの、”DINKS ( Double Income No Kids = 収入二倍・子供無しで生活エンジョイ)” なんて用語を流行らせたマスコミにも責任の一端はあると自分は想うのだが・・・(>_<)
それにつけても:
海の向こう側の超早期リタイアに向けた考えとの違いの何と大きい事だろうか。
“人生は自己責任” と考え、成人になったら即座に親から独立する事が当たり前の海の向こうの方達・・・国の成り立ちからして違うし、理解するにはバリアが高過ぎるのか?
日々を生きる事に対する真逆の考え方についての記事が同じ新聞・同じ日に掲載されていて、少しだけ考え込みました。
余計な事なんですが、ついでの憎まれ口(?):
今の時代、”若いもんにはまだまだ負けない” ・・・ なんて言う年寄りがどれだけいるのか、自分には解りようも無いが、”負けない” なんて言い張る事自体、”負けている証拠” だ。
年寄りが若者に負けても、”生物学的に何ら不思議は無い”。
加えて、居座る年寄りは若者にとって “迷惑” 以外の何物でも無い・・・自分等がそうだった様に、今の若い方達がそう考えてもちっとも不思議じゃぁ無い筈だ。
だからして自分は “FIREの考え方”、もう何十年か前に到達していれば違った人生だったかも・・・とも、ちょこっとだけ妄想もしました。
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(*1):こんな感じです:
”20181203:”廃橋”(はいきょう)・・・”