20190214:”お墓は不要”(故・P.ヴァールー氏 ← ”M.ベック” シリーズ原作者) [雑感]
故郷を離れたままの現代人、”先祖代々のお墓” を守る事が難しくなってきて困っている方が多いとか。 時々新聞とかTVとかで特集されている。
最近では駅近ビル内にコンパクトにまとめられたロッカー形式の仏壇も関心を集めているとも。
我が国では火葬が原則。 遺骨は、従来は代々のお墓に納骨していたのが今やこれが難しくなってきていて、樹木葬とか海への散骨とか、はては合同葬とか、終着駅としてのお墓の形態も多種多様な時代になっているそうです。
自分の場合は親が入っている所と行き先を決めているが、
”墓は無用・火葬・
遺族が望めば遺灰のみ残す/望まなければそれも処分”
とした方がおられました・・・何と北欧に。
“マルティン・ベック” の生みの親のお一人である 故・ペール・ヴァールー氏がその人。
M.ベックと言えばミステリ好きならご存じのスウェーデン警察ミステリの主人公だ。 10年かけて全10話が完成されている。
最近その中の
”密室”:
-原作:M.シューヴァル & P.ヴァールー
-訳:高見浩(角川文庫・1984年12月20日発行第三版)
を読み返した。
何と言う事無しに押し入れの隅に入れっぱなしの古書を整理・自炊(⇔スキャンしてPDF化)している途中で手に取った推理モノだ。
このシリーズは夫婦共作。 1980年代から90年台にかけて我が国でも評判をとった名作揃いとされ、中でもここであげた “密室” が最も評価が高かった様に記憶している。
この書籍では訳者後書きに換えて、高見氏がM.シューヴァル氏(夫人)をマルメ市@スウェーデンへ訪ねた(1976年9月7日)折りのインタビュー記事が掲載されていて、そこに故人の遺志が紹介されている。
夫のP.ヴァールー氏は先立つ際に
“自分の著作によってのみ人々に記憶されれば満足なので墓は不要”
とする遺志を残されたのだと言う。
で、それに従って “お墓は無い” のだという。
フィクションであれ、ノンフィクションであれ、いかなる小説・随筆・評論であれ、いかなる学術論文であれ、また更にはいかなる分野の人であれ、ここ迄言い切れる人がどれ程いるだろうか。
自分は北欧へ出向いた経験も知人も皆無。 北欧の方ならではの死生観なのかどうか、知る由も無い。
が、凡人に過ぎない自分は、正直、羨ましいとさえ感じています。
最近では駅近ビル内にコンパクトにまとめられたロッカー形式の仏壇も関心を集めているとも。
我が国では火葬が原則。 遺骨は、従来は代々のお墓に納骨していたのが今やこれが難しくなってきていて、樹木葬とか海への散骨とか、はては合同葬とか、終着駅としてのお墓の形態も多種多様な時代になっているそうです。
自分の場合は親が入っている所と行き先を決めているが、
”墓は無用・火葬・
遺族が望めば遺灰のみ残す/望まなければそれも処分”
とした方がおられました・・・何と北欧に。
“マルティン・ベック” の生みの親のお一人である 故・ペール・ヴァールー氏がその人。
M.ベックと言えばミステリ好きならご存じのスウェーデン警察ミステリの主人公だ。 10年かけて全10話が完成されている。
最近その中の
”密室”:
-原作:M.シューヴァル & P.ヴァールー
-訳:高見浩(角川文庫・1984年12月20日発行第三版)
を読み返した。
何と言う事無しに押し入れの隅に入れっぱなしの古書を整理・自炊(⇔スキャンしてPDF化)している途中で手に取った推理モノだ。
このシリーズは夫婦共作。 1980年代から90年台にかけて我が国でも評判をとった名作揃いとされ、中でもここであげた “密室” が最も評価が高かった様に記憶している。
この書籍では訳者後書きに換えて、高見氏がM.シューヴァル氏(夫人)をマルメ市@スウェーデンへ訪ねた(1976年9月7日)折りのインタビュー記事が掲載されていて、そこに故人の遺志が紹介されている。
夫のP.ヴァールー氏は先立つ際に
“自分の著作によってのみ人々に記憶されれば満足なので墓は不要”
とする遺志を残されたのだと言う。
で、それに従って “お墓は無い” のだという。
フィクションであれ、ノンフィクションであれ、いかなる小説・随筆・評論であれ、いかなる学術論文であれ、また更にはいかなる分野の人であれ、ここ迄言い切れる人がどれ程いるだろうか。
自分は北欧へ出向いた経験も知人も皆無。 北欧の方ならではの死生観なのかどうか、知る由も無い。
が、凡人に過ぎない自分は、正直、羨ましいとさえ感じています。