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20231206:H.キッシンジャー氏逝く(元国務長官@USA) [故人を悼む]

 11月29日に逝去。 享年100歳。

 余りにも有名、かつ米国政治界に於いてはカリスマ的な存在だった方だ。
 ニクソン&フォード’共和党政権に於いて国家安全保障担当大統領補佐官、次いで国務長官(=我が国の "外務大臣" に相当)を努め、"米中関係正常化" や "ベトナム戦争終結" に取り組んでいた。

 米中関係正常化に向けては、1972年時のニクソン大統領電撃訪中を実現させた。

が、日本から観れば・・・:
 国を二分にした60年安保以降強固な同盟国になったにもかかわらず、今では禁止用語になっているのだろうが
   "我が国は 聾桟敷。 蔑ろにされた"

との憤慨も政府高官にはあったかに聴いた(今では "仲間はずれ" とか "蚊帳の外" とでも言わなければ)。
 世にこれを "ニクソン・ショック" と言ってたなぁ。

 1973年にはベトナム戦争終結に向けた "お手柄" で何とノーベル平和賞を受賞した事にも驚いた・・・サイゴン陥落を終戦と定義すれば、それは1975年の事だったのに。 ノーベル賞に "先払い"、いわば "先行表彰" があるとは知らなかった。
 その証拠と言って良いのかどうか、同時に受賞とされた北ベトナム側要人は
   未だ平和に至らず

との事で受賞を避けていた。
 当事者の片方だけの平和賞ってなんなんだ・・・って話題でありました。

 日米関係では沖縄返還交渉にも関与したとされ、所謂 "核密約" を作成し、当時の佐藤栄作総理大臣/ニクソン大頭領の署名となったとも伝えられていた。

老生の想うところに過ぎないが・・・:
 冷戦時、ソ連(当時)と対峙していた米国の対中国政策に当たっては、故人は中国史を俯瞰した上で、
   "経済的に豊になれば米国と同じ価値観を共有出来る"

とのとらえ方があった様で、今日の中国の有り様を観ればそれが如何に "的外れ" だったかは明かだ。
 台湾問題の起源を造ったのは故人に他ならない。
 中国人の本質は "中華" 思想にあり、故人には中国人はもとよりアジア人を理解するには至らなかったと言う訳だ(とは老生の理解であります)。
 要すれば "大国主義" で、米国・ソ連(当時)・中国の3カ国が敵対せずに共存出来れば世界平和を実現させ得るとの信念の下だろうが、通算100回程も訪中しているそうだ(出自:NHK’デジタル・ニュース)。
 同盟国たる日本なんぞは小国扱いで、 "アウト・オブ・眼中" だった訳だろうし、それに英国やフランスを特別に重視していた節も見当たらない。
 実際、100歳となった今年7月に中国を訪問して習近平国家主席と会談していて、今以て中国&ロシア以外への関心は薄かった様だ。 インドを中核としたグローバル・サウスの存在感等は眼中に無かったに違い無い(かも)。

 多くのメディア訃報記事では "外交戦略家" と紹介されていて、我が国の政治評論家や米国政治専門家はこぞって礼賛一色だが、老生はむしろ "策士" だった様な印象しか持てない。
 と言うのも、繰り返しになっちまうが、故人が深く関わったベトナム戦争終結に向けた "パリ和平協定" は1973年に調印され、その後のサイゴン陥落迄の2年間に米軍は "栄誉ある撤退" の名の下でベトナムを去る事が出来、協定の上では、決して所謂ベトコンに "敗北" した訳では無いとの扱いにされているのだ。
 故人をモデル化した "G13" シリーズ中のエピソードは幾つかあって、策略家らしい人物像が描かれている・・・は蛇足か。
 老生は故人を好まないが、沖縄返還の緒を切り拓いた事は確かなので、黙祷。

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