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20201025:死者を ”鞭(むち)”/”笞(むち)” 打て [雑感]

 ミステリ・マニアならどちらもご存じの筈:
   G.ライアル:”死者を鞭打て” ・・・ ①
   鮎川哲也:”死者を笞打て” ・・・ ②
  (年配の皆様は "鞭" と "笞" の違いご存じでしょう)

 共に水準以上の作品だとは自分勝手の評価だが、①の作者は最高傑作 "深夜プラス1"、②のそれは "黒いトランク" を残している。

さて:
 何故、こんなタイトルを思い浮かんだのかと言えば、故・中曽根元総理の(政府+自民党)合同葬開催(10月17日)に当たって文部科学省が国立大学法人宛へ "弔意表明" 留意の旨をしたためた書を発状したからだ。
 ここで言う弔意とは弔旗&黙祷を指している。

 日本学術会議問題最中にあって、例によって国立大学側の心中は "反撥" 模様だったろうが、文部科学省の "睨み" が効いたのか、それなりの弔意を表した国大が多かったと伝えられている。

まるで・・・:
 留意する事が "学問の自由域" へ侵入するかの様な捉え方だ・・・と想う国民も少なからずいるだろう。

もう一つのまるで・・・:
  "死者に鞭/笞を打つ" 様だ・・・と受け取る方々も少なからずいるだろう。

・・・とまぁ、こう想った訳です。
 "どちらであるべし" ・・・ は、ここでは止めときませう。
 個々の立場で考えれば良い事です。

とは言え一つだけ:
 この方と "土光臨調" が無ければ
   - "超巨額赤字" 垂れ流し
   - "親方日の丸" 体質
   - 勝手に順法と称した "ストライキ闘争" 強行

としか言い様が無かった旧・国鉄(:日本国有鉄道)の "分割/解体/民営化" は無かった( "無が三つ" もある下手な日本語で m(_ _)m )。
 自分は、平日にストを平然と打ち、国民の生活環境を壊した当時の労組への "恨み" を未だに忘れていない。
 当時の国鉄職員の一部には、このコロナ禍で言われ始めた "エレメンタリー・ワーカー" としての自覚も使命感も感じられなかった。
 いろいろな見解があるのは承知しているが、自分はJRへの移行に必然性を感じている立場だ。
 故・中曽根氏には、それを意識した "歴史観" の持ち主だった事は間違い無い(またしても "無い" 文章だ)。

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