20170323-2:日本酒 ④米国酒? [日本酒]
今や、米国で米国人によって醸造された "日本酒" が品評会で金賞を獲得する時代になったようです。
一ヶ月前の新聞記事を整理していたら紹介記事を見つけました:
日本経済新聞紙(2017年2月19日付け夕刊):"SAKE造り 米国人挑む"
- 元金融技術者、失業で一念発起
- 日本の老舗に負けぬ味
あのリーマンショックで失業し、羽振りの良かった時代に出会った日本酒に関心を持ってのトライ。
京都・大阪・広島の造り酒屋を廻り、セミナーで勉強し、一人で麹&酒母造り・仕込みをこなし、純米吟醸酒を造るそうだ(もともと趣味でビール造りの経験者ではあった由)。
"バナナとバニラの様な華やかなアロマ" が特徴だと言う( ← ン? ・・・ どんな味だ? 自分には直ぐには想像出来ません。 ワインなら "ありえーる" と想うが・・・)。
国際品評会で "金賞" と言う事で、ご祝儀受賞ではないでしょうから、立派なものです。
米(こめ)はカリフォルニア産コシヒカリ(≠酒米の筈!)で、4割削った純米酒。
こう言うお酒って、"日本酒" っていうのでしょぅか?
それとも "米国酒"? "Rice Wine"?
或いは、簡単に "SAKE" かな?
750 ml 瓶詰め*1,200本/月の生産規模で、出荷先は国内(即ち、米国内)と英国だけらしく、日本へは未だの様だ。
自分が現役で、米国出張の機会があれば何とか理由をつけて醸造元を訪ねるのだが・・・
日本の醸造元はどんどん減っているのに、"SAKE" は拡がってはいる様ですネ!
一ヶ月前の新聞記事を整理していたら紹介記事を見つけました:
日本経済新聞紙(2017年2月19日付け夕刊):"SAKE造り 米国人挑む"
- 元金融技術者、失業で一念発起
- 日本の老舗に負けぬ味
あのリーマンショックで失業し、羽振りの良かった時代に出会った日本酒に関心を持ってのトライ。
京都・大阪・広島の造り酒屋を廻り、セミナーで勉強し、一人で麹&酒母造り・仕込みをこなし、純米吟醸酒を造るそうだ(もともと趣味でビール造りの経験者ではあった由)。
"バナナとバニラの様な華やかなアロマ" が特徴だと言う( ← ン? ・・・ どんな味だ? 自分には直ぐには想像出来ません。 ワインなら "ありえーる" と想うが・・・)。
国際品評会で "金賞" と言う事で、ご祝儀受賞ではないでしょうから、立派なものです。
米(こめ)はカリフォルニア産コシヒカリ(≠酒米の筈!)で、4割削った純米酒。
こう言うお酒って、"日本酒" っていうのでしょぅか?
それとも "米国酒"? "Rice Wine"?
或いは、簡単に "SAKE" かな?
750 ml 瓶詰め*1,200本/月の生産規模で、出荷先は国内(即ち、米国内)と英国だけらしく、日本へは未だの様だ。
自分が現役で、米国出張の機会があれば何とか理由をつけて醸造元を訪ねるのだが・・・
日本の醸造元はどんどん減っているのに、"SAKE" は拡がってはいる様ですネ!
20170323:際どかった! 地下鉄サリン事件 [自分の事]
去る3月20日は "地下鉄サリン事件"(1995年)発生から22年目の日。
当時、自分は現役で、素材企業の研究所(@横浜市)に勤めており、本社からの呼び出しで打ち合わせの為に頻繁に東京メトロ日比谷線の霞ヶ関駅を利用しておりました。
3月20日はたまたま呼び出しが無かったのです。
事件は午前8時頃起こったので、自分が出向く時間帯とはズレていたのですが、想い出す度に "際どかった" ・・・としか受け取れないのです。
偶然居合わせた犠牲者の方々も多かった訳で、お気の毒でならない。
同じ様な際どい経験は今ひとつあります。
1985年8月12日の "日航機御巣鷹尾根墜落事故" がそれで、通常の大阪方面への移動は東海道新幹線を利用するのですが、用件時間帯次第では飛行機を利用する事もありました。
事故の一週間程前に大阪に出向いたばかりで、これも今から想うと際どかったです。
最近は月に一度、京都に出向く際は東海道新幹線(新横浜駅⇔京都駅)を利用していますが、"東海地震" も懸念されている折、家を出る時はそれなりの気持ちを入れ替えています。
正直、時に、こんな気持ちから "解放されたい" とも想う次第です。
幾分、被害妄想過ぎるとは想うのですが・・・
悲惨な事件・事故の "そば" を経験した事から、毎年、この種のニュース・新聞記事を見聞きする度に襲われる想いです。
皆様は、こうしたご経験御座いませんか?
当時、自分は現役で、素材企業の研究所(@横浜市)に勤めており、本社からの呼び出しで打ち合わせの為に頻繁に東京メトロ日比谷線の霞ヶ関駅を利用しておりました。
3月20日はたまたま呼び出しが無かったのです。
事件は午前8時頃起こったので、自分が出向く時間帯とはズレていたのですが、想い出す度に "際どかった" ・・・としか受け取れないのです。
偶然居合わせた犠牲者の方々も多かった訳で、お気の毒でならない。
同じ様な際どい経験は今ひとつあります。
1985年8月12日の "日航機御巣鷹尾根墜落事故" がそれで、通常の大阪方面への移動は東海道新幹線を利用するのですが、用件時間帯次第では飛行機を利用する事もありました。
事故の一週間程前に大阪に出向いたばかりで、これも今から想うと際どかったです。
最近は月に一度、京都に出向く際は東海道新幹線(新横浜駅⇔京都駅)を利用していますが、"東海地震" も懸念されている折、家を出る時はそれなりの気持ちを入れ替えています。
正直、時に、こんな気持ちから "解放されたい" とも想う次第です。
幾分、被害妄想過ぎるとは想うのですが・・・
悲惨な事件・事故の "そば" を経験した事から、毎年、この種のニュース・新聞記事を見聞きする度に襲われる想いです。
皆様は、こうしたご経験御座いませんか?