20170326-2:サンウルブズ第5戦逆転負け(スーパーラグビー) [ラグビー]
TV中継やってました。
今季スーパーラグビー(SR)第5戦で、我がサンウルブズはホーム扱いのシンガポールでストーマーズ(南ア)と対戦、前半24:20でリード、後半も出だし好調でしたが、最後は逆転を許し、 31:44 で敗れました(5連敗)。
後半の前半迄は強豪相手に良く喰らいついていたのですが、力尽きた感じです。
何か、体力負けっぽく、辛いなぁ・・・
今季スーパーラグビー(SR)第5戦で、我がサンウルブズはホーム扱いのシンガポールでストーマーズ(南ア)と対戦、前半24:20でリード、後半も出だし好調でしたが、最後は逆転を許し、 31:44 で敗れました(5連敗)。
後半の前半迄は強豪相手に良く喰らいついていたのですが、力尽きた感じです。
何か、体力負けっぽく、辛いなぁ・・・
20170326:”昭和” は輝いていた? [自分の事]
BS放送で、"輝いていた昭和" を題材とした番組があります。
昭和の、それぞれの時代・時期を象徴する人、モノやできごとを切り口とした回顧番組でしょうか(あの武田鉄矢さんが MC = マスター・オブ・セレモニー)。
タイムマシンで居酒屋やバーを昔に遡っていったら、何時の時代でも “昔は良かった” と言う年寄りがたむろしていた映画だったか、CMだったか、何かがありました。
辛い事よりも良い事を想い出す方が楽ですから、年寄りはそう想うだけなのに・・・と言う事は誰でも解っていながらの洒落た映像でした。
常に観ている番組と言う訳ではありませんが、そんな訳で良いとこ取りや懐かしい事が中心で、そこに潜んでいた、或いは至った裏側への視線は極めて少なく、題目に “違和感” ありの感じです(自分に限りますが・・・)。
武田鉄矢さんともあろう方が気が付かない筈は無く、お気楽事だけで視聴率を狙った局側の意向なのでしょう。
本当に輝いていたのかぁ?
輝いていた瞬間もあった・・・が本当なのだろうに!
自分の人生の大半を過ごした "昭和" と言う時代ですが、数多くの犠牲者を出した戦争を経て(*)、その後は奇跡と迄言われた経済復興を成し遂げ、世界有数のGDPを叩き出す国となりました。
(*) 自分は、おぼろげ乍らも “防空壕”(”ぼうくうごう” と読みます。
空襲に備えた洞穴の様な退避場所)に入った記憶があります。
或いは、単にそう聴かされていただけなのかもしれませんが・・・
自分の時代は、自然の佇まいを犠牲にし、公害をまき散らしながら、所得を倍増させ、家電製品と自動車に囲まれ、年齢を経ればそれ相応の家も持てた時代とも言えます。
石油・電気・ガスを使いたいだけ使い、年間1千万トンもの賞味期限切れ食品や食べ残しを出し続けて来ました(今も)。
特に電気は昭和の時代の政策により原発で大凡全需要の30%前後を賄ってきた訳でしたが、その安全神話は3.11震災で無残にも打ち破られました(あの安全を謳ったCMに出演された著名人の方々は、今どう感じているのでしょうか。聴いた事もありません)。
平成は30年迄の様ですから、次の年号の何時頃に解決するのか、見通しの無いままに "昭和のツケ" は持ち越される事になります。
武田鉄矢さんには、懐かしんでいるだけでは無く、諸々の昭和の姿を、持ち前の視線で総括して欲しい。
敗戦後は、これ迄に辿った道程の他に選択肢は無かったと信じているものの、自分たちの世代は経済復興の方を選び、確かに輝いた瞬間もありましたが、"負の側面を敢えて直視してこなかった" と次世代の方々の批判を受け、かわす事は難しい。
高齢者となった今は、もう何も手立てを持たない存在となってしまいましたが・・・
現役の頃は考えもしなかった想いで、自分自身が驚いています。
昭和の、それぞれの時代・時期を象徴する人、モノやできごとを切り口とした回顧番組でしょうか(あの武田鉄矢さんが MC = マスター・オブ・セレモニー)。
タイムマシンで居酒屋やバーを昔に遡っていったら、何時の時代でも “昔は良かった” と言う年寄りがたむろしていた映画だったか、CMだったか、何かがありました。
辛い事よりも良い事を想い出す方が楽ですから、年寄りはそう想うだけなのに・・・と言う事は誰でも解っていながらの洒落た映像でした。
常に観ている番組と言う訳ではありませんが、そんな訳で良いとこ取りや懐かしい事が中心で、そこに潜んでいた、或いは至った裏側への視線は極めて少なく、題目に “違和感” ありの感じです(自分に限りますが・・・)。
武田鉄矢さんともあろう方が気が付かない筈は無く、お気楽事だけで視聴率を狙った局側の意向なのでしょう。
本当に輝いていたのかぁ?
輝いていた瞬間もあった・・・が本当なのだろうに!
自分の人生の大半を過ごした "昭和" と言う時代ですが、数多くの犠牲者を出した戦争を経て(*)、その後は奇跡と迄言われた経済復興を成し遂げ、世界有数のGDPを叩き出す国となりました。
(*) 自分は、おぼろげ乍らも “防空壕”(”ぼうくうごう” と読みます。
空襲に備えた洞穴の様な退避場所)に入った記憶があります。
或いは、単にそう聴かされていただけなのかもしれませんが・・・
自分の時代は、自然の佇まいを犠牲にし、公害をまき散らしながら、所得を倍増させ、家電製品と自動車に囲まれ、年齢を経ればそれ相応の家も持てた時代とも言えます。
石油・電気・ガスを使いたいだけ使い、年間1千万トンもの賞味期限切れ食品や食べ残しを出し続けて来ました(今も)。
特に電気は昭和の時代の政策により原発で大凡全需要の30%前後を賄ってきた訳でしたが、その安全神話は3.11震災で無残にも打ち破られました(あの安全を謳ったCMに出演された著名人の方々は、今どう感じているのでしょうか。聴いた事もありません)。
平成は30年迄の様ですから、次の年号の何時頃に解決するのか、見通しの無いままに "昭和のツケ" は持ち越される事になります。
武田鉄矢さんには、懐かしんでいるだけでは無く、諸々の昭和の姿を、持ち前の視線で総括して欲しい。
敗戦後は、これ迄に辿った道程の他に選択肢は無かったと信じているものの、自分たちの世代は経済復興の方を選び、確かに輝いた瞬間もありましたが、"負の側面を敢えて直視してこなかった" と次世代の方々の批判を受け、かわす事は難しい。
高齢者となった今は、もう何も手立てを持たない存在となってしまいましたが・・・
現役の頃は考えもしなかった想いで、自分自身が驚いています。