SSブログ

20231011:”報道しない” 罪と罰 [ただの私見]

 "言論の自由" とか "報道の自由" とかは実に頻繁に耳にする言葉で、多くのジャーナリストが "金科玉条" としている。
 民主主義の建前として当然の事と想うが、それは "社会正義" を守る為に "権力側の不都合/巨悪" と対峙して陰険な圧力に屈せずに "報道して質す" 場合にこそ貫いて欲しい事だ。
 が、現下のJ-芸能事務所による人権侵犯事件で観られた報道機関の "沈黙" とは "言論(しない)の自由"/"報道(しない)の自由" なのか。
 報道する事を使命とし、言論の自由/報道の自由を御旗に建てるのであれば、犯罪事件の限りに於いて社会正義を守る立場であれば
   "報道しない" 罪と罰

が当然あってしかるべきだと老生は考えざるを得ない。
 各TV局が
   "人権意識" が低かった、"忖度" していた、"反省" する

程度の釈明で済まし、結局は何の "責任も取らない" 姿勢を観ていると、"報道しなかった罪" があっても・・・偏屈な老生は頑なにこう想うのデス。

共通テーマ:日記・雑感