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20231201:報道の自由&報道されない権利/自由 [ただの私見]

 "言論の自由" と "自由な報道" が民主主義の要諦の一つである事に異論があろう筈も無い。
 が、"犯罪を犯していない私人" のプライバシーを面白半分にって言うか、面白満杯で暴き立てる報道が当該人の人生を変えてしまう結果を見ると、"報道されない権利/自由" があってしかるべきだと老生は想う。

と言うのも:
 最近、我が国のフィギュア・スケート界で長い間トップの座を占め、若くして国民栄誉賞までも授与された男子選手が8月に結婚、先月離婚となり、その原因が配偶者の個人情報暴露、及び度を超した誹謗中傷にあるとの報道を見聞きしたからだ。
 この個人情報を暴露した配偶者地元新聞紙は
   -皆が知りたがっている情報を記事にして何が悪い

ってな態度で居直っている様だが、実のところ老生はこれを見聞きして不快極まってしまった。
 概して評論家とか批評家等々と称する奴らは、この手の主張をネットで撒き散らしている様で、プン*2だ。

 老生はこの男子選手の結婚/離婚そのものの是非には関心が無い。
 だが、どんなに有名な公人の配偶者であっても、その人が私人である限り、この新聞社の言い分は "覗き見主義" に過ぎなく、報道の自由の "履き違い" で、"出歯亀新聞" とでも言いたい想いだ。

 無闇な米欧基準の後追いは不快だが、EUでは
   ネット上の "忘れられる権利"

が厳しい条件付きだが、表現の自由とのバランスの上で認められている。
 つまりは、一定の条件を満たせばの話だが、個人が組織に対し、ネット上の個人情報の削除を要求する事が出来、SNS運営機関の対応義務を課している。 最近では、カナダ国に於いてもグーグル検索における忘れられる権利をカナダ人に認める判決が下されているそうだ。

 忘れられる権利" と "報道されない権利" とは概念として大きな乖離があるが、罪を犯していない私人のプライバシーの "侵略的報道" を禁じる手立て、つまりは報道されない自由を "権利" として制定し確保て欲しいと想う。

因みに:
 日本では、2016年に逮捕歴のある男性がグーグルの検索結果から逮捕に関する記事の削除を求めた事で "忘れられる権利" が論点として認識される様になった段階で、法律として成立している訳では無い。
 老生は不案内なので某・対話生成AIに尋ねたところ、
   日本では、総務省が
   個人情報保護法に基づく検索結果の削除に関するガイドライン

を策定していて、ネット上の検索結果の削除を請求する際の基準を示している。
 即ち、削除を認める場合として、
   -個人のプライバシー権が侵害されている場合・・・①
   -検索結果が公共の利益に反する場合・・・②

が条件とされていて、このガイドラインは、検索サービス事業者に対する指針として一定の法的拘束力を有するものと考えられるとの解答だった(但し、①にしろ②にしろ、その判断基準は明示されている訳では無い)。

 しかしながら、SNSが広く根付いている今、一度ネット上で開示された情報は拡散され、その全てを削除する事は不可能だ。
 だからして、そもそもが "報道されない権利" があって欲しいと願うのだ。
 併せてそれを犯した側には "厳罰" が下る社会であって欲しい。
 それが実現出来ない社会であれば、やはりG13の存在があるのか・・・なんて想っちゃうのは幼稚かな。

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