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20180504:”偏見”・”差別” は無くなるのか [ただの私見]

 黒人客トラブルが発端で "不買運動" が始まってしまったスターバックス@米国が、8K以上の店舗で来る5月29日午後に休業して、"暗黙の偏見"・"人種差別" を防ぐ研修を175K人程の従業員へ行うとあった(日経紙:2018年4月18日付け夕刊)。

 黒人男性2名が商品を購入しないで店内で知り合いとの待ち合わせをしており、一名がトイレを使おうとしたところ、店員が断った事に対して件の男性が使わせろとしたため、店員が "不法侵入" と見なして警察に通報したらしい。
 居合わせた客の撮影した映像がネット上で公開され、若者中心にボイコット運動が始まった事への対応だったとある。

 正直、コーヒー店で商品を買わずに待ち合わせに利用する人がいる事自体に驚いた自分は、とっくに米国の若者の感性からは遠い存在に過ぎないのだと思い知ってしまった。

 トイレの利用を断り、それを拒否した事から不法侵入と警察に通報した店員は、雇用時にその様に指導されていたのだろうが、白人であっても同じ対応だったか・・・不買運動の動機付けになっているらしい。

 更にこの記事に接する迄、現場に居合わせた客が撮影してすぐさまネットに投稿し、それが拡散を呼んで不買運動が起こり、企業トップがすぐさま対応を図る・・・そんな "構図" は最早自分には想像さえ出来かねていた。

ところで:
 偏見・差別は容易には "無くならない"
 肌の色が同じ・似通っていてさえ、偏見・差別意識は存在し続けるのが現実だ。
 例えば、一見は白人同士に見える東欧人⇔西欧人、北欧人⇔南欧人の "見えない" 対立は容易には消え(てい)ない・・・と自分には想える。
 よぉ~く見れば、それぞれに肌色は違う、髪色は違う、瞳の色が違う、顔付きも全然違う、信ずる宗教宗派で教えが違う、おまけに階級社会が未だに残り続けている欧州に於いては彼等は互いに違う "人種" で、人種が異なれば競争社会が原則の今日にあっては偏見・差別は在り続ける・・・のだと考えるのです。

 その点私たち "日本人には偏見・差別は(殆ど)無い" ・・・ と信じていた自分は、懇意にしているド**人から、"日本人ほど差別意識の強いのは珍しい" ・・・ と迄指摘された事があって、"憤慨" したところ、たちどころに "いくつもの事例" を指摘されてしまっている(いつか投稿せねばなりますまい)。
 意識しないままに、外から見れば偏見そのもの、差別そのもの・・・と判断されてしまう事って、財務省事務次官のセクハラ事件の背景と重複する要素もあると想わざるを得ない。

 ただ一つ、自分は "他の人とは***が違う、そうありたい" ・・・ と想い、願う心は大げさに言えば "自己実現" の為の動機付けになるだろうし、一方では他への偏見・差別意識の芽生えにつながるのかも知れません ・・・ と言う事くらいしか、この歳になっても自分には解りません(これ迄に "自己研鑽" を積んでこなかった "ツケ" かも)。

加えて:
 このニュースから今ひとつの事を痛い程に知らされました。
 誰でもが情報発信源となり、その背景とは無関係に巨大企業を追い込む・・・ICT(情報通信技術)のそんな凄まじい力を誰が予測し得たでしょうか。
 既に引き返す事が出来ない時代に入ってしまっている・・・と言う事なんですね。


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