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20230501:M.クワントさん逝く(服飾デザイナー@英国) [故人を悼む]

 4月13日に逝去。 享年93歳。

 ’60年代にミニスカート等の革新的デザインのファッションで時代を変えた方だ。
 "女性の解放" はここから始まった・・・って聴いた事が何回もあった。

 今は後期高齢者である老生だって、この時代は性に目覚め始めた頃だった筈だが、ミニスカ女性の膝を観るなんて出来る筈も無く、馴れるのに随分と時間がかかった・・・今は何とも感じないけど(たはっ!)。

 うぅ~ん・・・男性の方も開放されたのかもなぁ。
 並みの政治家よりも遙かに新しい時代を造った方だったに違い無い。
 黙祷。

20230429:J.プライスさん逝く(若冲 ”発掘” & 作品収集) [故人を悼む]

 4月13日に逝去。 享年93歳。

 今では我が国に於いても伊藤若冲の彩画は認められ、人気が極めて高いが、それは故人が収集し、室温・湿度・遮光等々に特別に配慮し設計した部屋で画質維持に努めて保存していた事が "たま*2" 我が国に紹介され、展示された事がきっかけだ。
 それ迄は国内の美術評論家で若冲に注目して論じた方は殆ど、いや実質いなかった・・・とは自分の理解だ。 それがどうだ、今では誰もが若冲の筆力に魅入られている。

 おかしな話だ。
 何故、我が国の学識者が若冲の希有な存在と才を論じていなかったのか。
 "海外で認知されると慌てて後追いする"。 論者として恥ずかしくないのか。

 そんな想いを自分は抱くのです・・・この "井の中の蛙" は芸術分野に限らず他の諸々の文芸とか科学の領域でさえ観られるのだ。 要するに独自性を他に先んじて認める事が出来ない/先例ばかりに倣う・・・って奴だ。

故人曰く:
 「自分が若冲に出会ったのは単なる偶然では無い。
  太平洋と言う "大きな河" を隔ててここカルフォニア州と日本はお互いに
  向き合っていて、"お隣同士" なのですから。」

 ・・・故人の紹介番組がどこかのTV番組にあって、その中で自分のおぼろげになった記憶ではこの様な事を話されていました。
 奥様が日本人だった事も一因だったのでしょうが、"俯瞰" 出来るお方だったと推察する次第です。 そうで無ければ
   - "太平洋を大きな河"
   - "加州と日本は両岸で向かい合う同士"

なんて表現出来る訳無い・・・と想い、"よくぞ発掘して下さいました" と想う次第デス。
 ・・・と言う訳で、個人の先見性と言うか、感性に敬意を表して、黙礼。

20230427:渡辺長武(おさむ)氏逝く(レスリング金メダリスト@五輪1964東京大会) [故人を悼む]

 昨年(2022年)10月に逝去(日時不詳。訃報:2023年4月16日)。 享年81歳。

 この方が見事に金メダルを獲得した五輪1964年東京大会をリアルに観聴きした日本人は最早ほんの一握りだろう・・・自分はその一人だ。
 フリースタイル/フェザー級(63kg)で世界選手権等に於いて連戦連勝し、金メダルは186連勝目、現役引退時には189連勝に達していた。 訃報記事に依れば186連勝はギネス認定だったようだ。

 とにかく強い方で、渾名が "アニマル" と言う程だった。
 五輪でのメダル候補種目筆頭が柔道&体操&レスリングだった・・・か。 全階級金メダルを目指した柔道だったが、無差別級では惜しくも逃したものの、女子バレーがソ連(当時)を破った望外の金メダルもあり、 "敗戦国" 日本が少しずつだが自信がつき始めた頃だった・・・今にして想えばだが。
 黙祷。

20230409:坂本龍一さん逝く [故人を悼む]

 3月28日に逝去(訃報:4月2日)。 享年71歳。

 残念に過ぎる訃報でした。
 正直に申し上げてYMOが登場した時のテクノポップと呼称された音楽は何とか追いついていけたが、以後の最近に至る迄の深淵とも言われる研ぎ澄まされた楽曲は自分にはその理解を超えていました。
 が、核兵器&原発廃絶、3.11以降の東北被災地復旧復興支援、加えて最近では神宮外苑再開発@東京都の再考を求める社会活動には強い哲学を感じていたので、本当に惜しまれる彼岸への旅立ちでした。
 ただ、この外苑再開発事業者は神宮本体+民間ディベロッパー等で、都は認可許諾権のみの関与だったが、故人の都知事宛の再考を促す書状は大きな話題となって、都知事は為す術が無いのが外から観ていて気の毒には感じていた。 故人も十二分に承知の上での書状だったのだろうが、何とかならなかったのかなぁ・・・そんな想いがしていています。

 役者というか、"人間表現者" としての存在も見逃せなかった。
 愚直にも見える日本軍人を演じた "戦場のメリークリスマス" や "ラストエンペラー" での役回りは、当時の米欧人から見れば極めて神秘的な、理解を超えた東洋(人)の存在そのモノだったのではなかろうか。
 これは北野武さんが今は大昔に語っていたそうだが、演技はめっちゃダメだが、どうせ日本語は解らん米英人は旨く捉えて "買いかぶって" くれるだろう・・・だって。 確かにお二人のセリフは棒読みで演技もぎこちない様にしか見えないが、そこは故・大島渚監督の手腕が凄ご過ぎた魔術だったのだろう。

 故・手塚治虫’漫画がお好みで、また左利きというのも自分にはたわいの無い好感要素でしたか。
 掛け値無しに尊ばれた数少ない日本人のお一人として故人を偲びたい想いです。
 黙礼。

20230406:G.ムーア氏逝く(インテル社創設) [故人を悼む]

 3月24日に逝去。 享年94歳。

 インテル社と言えば半導体産業界のみならず、PCを使う人なら誰でもがその名を知っている "マイクロプロセッサー" 開発/製造会社だが、その創設者のお一人だ。
 半導体を高密度に積層実装し、論理的演算機能を持たせたマイクロプロセッサーこそが今日のデジタル社会をもたらした大元のドライバーだったが、我が国の半導体メーカーは専らストレージ指向で、この世界の主導権を握る事は残念ながら無かった。

 故人はその名で呼ばれる法則で広く知られている。"ムーアの法則" ( Moore's Law ) と呼称されたそれは
   半導体の性能は2年毎に倍増する・・・①

と言うモノだが、法則と言うよりも半導体業界の "開発指針" としての役割を果たしたとも言えそうだ。
 国内半導体メーカーに入社した学生時代同期が開発目標として
   積層密度を "2倍/2年" せにゃならん・・・②

をあげて、"たまったもんじゃ無い" って言ってた事を想い出す。

 限界を指摘されながらも今以てほぼ成立しているから、驚く程の先見性だ。
 偉大な工学者に敬意を表して黙礼。

因みに:
 ①&②は簡便には
   p = 2**(n/2) ・・・③ [**は冪乗。例:2**4=2*2*2*2=16]

として表示される:
   p:積層密度、n:現時点よりの経過年

 実際、nに数字を代入してみれば、その凄まじさが実感されます。

20230403:松井孝典(たかふみ)氏逝く(惑星科学者) [故人を悼む]

 3月22日に逝去。 享年77歳。

 学術的な業績多々のお方だとは想うが、老生にとっては1980年代にNHK’TVで放送された "パノラマ太陽系" の解説者としての記憶が大部を占める。 30歳代で、バリ*2の新鋭学者様時代だったのだろう、解説に勢いがあったが、恐らくは八神純子さん "Mr.ブルー 私の地球" がエンディングに使かわれていた事の効果が大きかったと想う。

 故人は小惑星探索に関わる我が国の宇宙政策に批判的なお立場だった様だが、老生の様な世代には "ババァ発言"(ネットで調べられます) の方が記憶に残っているのは不本意かも知れない。
 が、宇宙に関心を持つのは多くの子供の先ずもっての習性にも等しく、故人のその功績は大きいと想うので・・・黙祷。

ついでに:
 あの "はやぶさ2" が持ち帰った小惑星サンプルから "RNA" が検出された(北大&海洋研究開発機構:3月21日発表。 厳密に言えば、検出されたのは "ウラシル" と言う塩基物質で、これはRNAにのみ含まれている)。
 宇宙に於いても生命起源物質であるRNAが存在した事は、地球型生命体の大元が "宇宙からの飛来" とする説の根拠の一つとなり得る大きな発見で、我が国の宇宙政策の "学術的成果" とも言える。
 宇宙科学者だけではこの成果は見込めない。 分子生物学者との連携があって初めて成し遂げられる成果と言える。
 故人は惑星科学に於いて重要な痕跡を残されたが、生命科学との連関についてどうお考えだったか、伺いたかった。

20230402:団 時朗さん逝く(役者) [故人を悼む]

 3月22日に逝去。 享年74歳。

 自分の様な年代層には
   TVドラマ:帰ってきたウルトラマン・・・①
とか、
   TV’CM:資*堂’男性向け化粧品MG5・・・②

が懐かしい・・・①は子供と一緒に観たし、②は手頃なものとして自分用にと買い求めた事もあった。
 でも彫りの深い顔立ちの故人だからこその化粧品であって、そうで無いと "そぐわない" ってすぐ気がついたけど。
 時々再放版を含めて観たTVドラマでは悪役をこなされていて、①とか②を知る自分にはチコッとした驚きでした。
 黙祷。

20230325:橋爪四郎氏逝く(銀メダリスト@五輪ヘルシンキ1952大会1500m自由形競泳) [故人を悼む]

 3月9日に逝去(訃報:15日)。 享年94歳。

 今や水泳界関係者とか老生の様な後期高齢者層でしかこの方の活躍は知るまい。
 戦後間もない頃、故・古橋広之進氏と共に競泳界で活躍された。
 今の競泳選手の様な筋肉ムキ*2マンでは無かったけど、綺麗な泳ぎ方だった事を微かに覚えている。
 1952年開催の五輪ヘルシンキ大会では1500m自由形競泳種目で2位となり、凹みがちだった日本人へ勇気を与えたとされる。
 自分はこの大会のラジオ実況中継を聴いている・・・数えてみれば気の遠くなる様な今は昔の事ですが・・・
 彼岸へ旅だった英雄へ・・・黙祷。

20230323:陳建一さん逝く(中華料理の ”鉄人” ) [故人を悼む]

3月11日に逝去(訃報:3月15日)。 享年67歳。

 "中華の鉄人" と愛称されたお方だ。
 自分も時に見ていた "料理の鉄人"(フジTV)で振る舞われた四川料理の数々・・・中華街(@横浜市)ででしか経験無いが、辛口だがそれだけでは無い跡を引く旨さは和食には観られない味わいだった。 あの海原雄山(@美味しんぼ)でさえ "発想の自由さには適わない" って中華料理の奥深さを言い当てていたのはホントだった。

 この番組以前では麻婆豆腐は辛いだけで・・・って余り味わった事無かったけどなぁ。 ホンモノは違っていた。
 コロナ禍が始まって3年有余。
 中華街に出向く事も無くなり、そんな事を想い出します。
 黙祷。

ついでに:
 (超)大盛り品を見せつける食べ物屋さん等々の紹介は夕方ニュース番組の定番だけど(← 何故にニュース種になるのか老生には意味不明だが、何処の局もそうなんだ)、こんなのじゃぁなくて "料理" を見える化し、ゲーム化した番組が無くなりましたねぇ・・・ "どっちの料理ショー" なんか、遊び心もあったが "素材の大切さ" を教えて貰う程のバラエティー番組だったけど。
 幾つになっても食い意地が張っている老生には調理番組は観る方だが、往年程には賑わっていないのが些か寂しい想いデス。

20230322:大江健三郎さん逝く(作家) [故人を悼む]

 3月3日に逝去(訃報:3月14日)。 享年88歳。

 ノーベル文学賞を受賞せずとも作家として世界的にも知られたお方だ。
 が、恥ずかしながら自分は "万延元年のフットボール"(発表:1967年)しか読んでいない。
 反核や、障害を抱えたご子息(長男)との共生の様な重いテーマの創作が多くて、とても確固たる信念とか生きる上での哲学を持たなかった自分には他の多くの作品を読み切るには "荷が重過ぎた" ・・・ これが正直なところです。
 訃報記事には日本文学を先導されたお一人とも記されていました。
 浅学な自分がその上に加えるとしたら、偉大な思索者でもあられたと想う次第です。
 黙礼。

追記:
 私事ですが、現役の頃、故人のご次男と業務上の事で会話した事があり、随分と鋭い切り口を持ち合わせた質問を受けた経験がありましたなぁ・・・訃報記事を観ながらそんな事、想い出しました。

20230302:伊藤絹子さん逝く(服装モデル元祖) [故人を悼む]

 2月14日に逝去(訃報:23日)。 享年90歳。

 今ではこの方を知る人は少ないと想われる。
 我が国の洋装モデル元祖と言っても決して言い過ぎでは無い方だ。
 何と言っても
   1953年開催のミスユニバース世界大会 "第3位"

を射止め、その "八頭身" スタイルが戦後日本人のコンプレックスをチコッとだけ解消させてくれたのだ。
 何しろ戦後10年も経っていない時代で、大方の日本人は貧弱な体躯だったからなぁ・・・老生は良く覚えているのです。
 その後のしばらくの間は芸能活動もされていたに記憶しているが、外交官と結婚されて引退された様だった。
 懸命なご判断だったに想う者です。
 黙祷。

20230228:松本零士さん逝く(マンガ家) [故人を悼む]

 2月13日に逝去(訃報:2月20日)。 享年85歳。

 多くのファンの方々は雄大なスペース・ロマン:
   -宇宙戦艦ヤマト(船を宇宙に浮かべる比類の無い意外さ)
   -銀河鉄道999(鉄道を宇宙に敷き延べるアイデア)
   -宇宙海賊キャプテン・ハーロック(桁違いに重層的な楽曲)

等を引用されながらの悲しみを伝えていました(:"カッコ内" は老生の印象)。
 確かに、これ等によってスペース・ロマン・アニメの一大ブームが巻き起こされたし、宇宙を舞台として果てし無く拡がる絵柄とストーリーは独特で抜きんでていた。 その証拠と言って良いのかどうか、美術/芸術に関しては独自の感性を持つフランスから栄えある賞を受けている程だ。

が・・・:
 勿論、これを否定する訳では無いけど、自分にはこれ等の代表作品に先んじて週刊少年マガジン誌に連載されていた
   男おいどん

が忘れがたい。
 絵柄もストーリーも宇宙モノとは(それこそ今流行の言葉で言えば) "異次元" のものだ。
 上京した若者のせつない青春 "下宿ぐらし" を描いたもので、何と言っても押し入れに映えてくる "サルマタケ" と言うナゾノ茸(?)がやるせない嗤いを誘うのだった。
 こんな想いは自分だけだろうと想っていたら、何とNHKR1ラジオ深夜便の某男性アナが同じ想いを語っていたのを聞いて驚いた程でした。

そう言えば・・・:
 隅田川観光船のデザイン・・・洒落ていましたねぇ。 残念ながら老生は乗船機会を逃していますが・・・
 マンガ&アニメに新たな世界を切り開いたお方でした。
 黙礼。

20230218:B.バカラック氏逝く(作曲家) [故人を悼む]

 2月8日に逝去。 享年94最。

 何と言っても
   映画 "明日に向かって撃て!" 挿入歌:"雨にぬれても"・・・①

で知られているし、
   デュオ "カーペンターズ" :"遙かなる影"・・・②

でも有名な作曲家だ。

 確か2月10日(金)放送のNHKR1 "ラジオ深夜便" の中で前後のつながり無しに突然に①が流れてきて、バカラックさんの逝去に思いを寄せて・・・とアナが言っていました。

 それにしても、①の映画はP.ニューマン&R.レッドフォードの二人組強盗(原題:"ブッチ・キャシディ&サンダンス・キッド" )の銀行襲撃/逃走を躍動的に描いた新しいセンスのものだ。
 映画の方は、この二人が果たす事の無い"妄想" を抱きながらの自滅的な場面で終わるのだが、邦題はこれを如実に言い表していて、実に洒落たセンスの持ち主が考え出したに違い無い。
 そう言えば、①の楽曲の方の原題は "Raindrops Keep Fallin' on My Head"、②の原題は "Close to You" で、これもセンスのある邦題ではありませんか。
 今はこんな洒落た邦題の映画や歌にはお目にかかれない時代だが、①&②はこれからもずっと*2聴き続けられて行く名曲の筈だ。
 黙祷。

20230127:G.ロロブリジーダさん逝く(女優&写真家@イタリア) [故人を悼む]

 1月16日に逝去。 享年95歳。

 1950~60年代にかけて絶世の美女と称された映画俳優だった。
 自分が観たので印象に残っているのは、
   空中ぶらんこ(1956年:米)・・・①
   ノートルダムのせむし男(1956年:仏)・・・②
   わらの女(1964年:英)・・・③

でした(年代:ネット確認)。
 公開当時どれも評判で、何回もTV放映されている。 ①ではB.ランカスター、②ではA.クイン、③ではS.コネリーと、当時の映画で活躍していた男優を相手にしたヒロイン役だった。
 当時のイタリア女優といえば、S.ローレン、A.エグバークのような圧倒される方が多かったが(但し、C.カルディナーレが例外)、故人はチコッと違っていた。
 確か来日経験があったかと想ったが・・・今はこう言う言い方はタブーの様ですが、とにかくすごい美女でしたな。
 黙祷。

追記:
 ネット出確認出来ましたが、②は今では
   パリのノートルダム

と改称されているそうです・・・ "時代" を感じます。

20230125:佐藤幹夫氏逝く(純粋数学者) [故人を悼む]

 1月9日に逝去。 享年94歳。

 古典的な関数理論を越えた "超関数" 理論を体系化したお方のお一人だ( "佐藤’超関数" )。
 理系の学生であれば3年時、遅くとも4年時に習った筈の "第二量子化理論" で必ずお目にかかる "ディラック’δ-関数" の数学的理解がその入り口だった。
 正直、解った様な、それでいて本質はチコッとも解っていない様な理論だったが、とにかく使うととても便利なシロモノだった・・・程度にしか想い出せない。

 我々日本人の中には、純粋数学の概念を革新させて超難問を解いた方とか、新たな体系化を成し遂げた方とか、そんな "超のつく天才" が時におられる・・・誇らしい事だ。

 故人は1984年に文化功労者表彰を受ておられているが、これを遙かに超えられた学識者だった筈だ・・・行政とかアカデミア側に純粋数学者を正しく評価する人材がいなかった事を図らずも示しているに他ならない・・・そんな感じを受けています。
 黙礼。

20221219:水木一郎さん逝く(アニメ’ソング帝王) [故人を悼む]

 6日逝去。 享年74歳。

 アニメ主題歌をアニソンと言うらしいが、その "帝王" と称されていた。
 何と言っても
   マジンガーZ・・・①
や  宇宙海賊キャプテンハーロック・・・②

がダントツだ。
 ①はあの "ハレンチ学園" の・・・って言ってしまえば大変失礼なのだが、永井豪さん原作とは信じられない程の路線変更・大傑作品だったが、故人の歌いっぷりが大いに功していたと想う。
 原作は松本零士さんのマンガだった②は、アニソンではあっても立派すぎるオーケストラをバックに歌い上げる荘厳な楽曲だ(LP持ってます)。

 一度だけだが故人のライブを観た事があった。
 現役で汐見台社宅@磯子区(横浜市)にいた頃、JR磯子駅前・山側にあったプリンスホテルでのイベントだった。
 当時人気沸騰していたウルトラマンの実演+故人のディナー・ショーだった。 その頃の故人はまだ帝王とは称されていなかったが、その歌声は実に堂々としたものでした・・・よく覚えています。 息子も懐かしがっていました。
 旅立ち直前まで病魔と闘いながらの実演をされておられたそうだ。
 プロ意識が強かったんでしょうね。
 黙祷。

20221215:江原真二郎さん逝く(俳優) [故人を悼む]

 9月27日に逝去(訃報:12月9日)。 享年85歳。

 自分には映画が娯楽の王様だった頃と重なっている俳優さんだ。
 なんと言っても
   米(東映:公開1957年)

でいきなりの主役を演じられた・・・自分は池袋東映館で "封切り" を観た覚えがある。
 チャンバラ専門の感があった東映が社会性ある問題作を制作したとあって、当時話題になった・・・と記憶しています。
 でも貧しい農村の因習と新しい価値観とのぶつかり合い・・・多分、理解出来ていなかったと想います(今になって考えれば)。

 代表作には、この他、"純愛物語" や "武士道残酷物語" もありました。 いろんな役で活動されたが、吉岡清十郎役(@宮本武蔵)や犯行側主役を演じられた
   十津川警部シリーズ:寝台特急殺人事件
  (TBSTVドラマ:十津川警部役=故・渡瀬恒彦さん版)

が自分には印象に残っている。
 役に共通しているのは "少しだけ影" のある人物だった・・・そう覚えています。
 因みに、奥様の中原ひとみさん。 結婚された当時、この方の美しさは男子中高生に圧倒的な人気がありました。
 黙祷。

20221214:志垣太郎さん逝く(俳優) [故人を悼む]

 3月5日に逝去(訃報:12月6日)。 享年70歳。

 彫りの深いお顔立ちが印象に残っている俳優さんだった。
 我がワイフ殿と自分には
   男は度胸(NHKTVドラマ)・・・①
   新・平家物語(〃)・・・②

で、天一坊役(①=徳川幕府八代将軍吉宗青春物語)、それに源義経役(②)が記憶に残っていて、主役ではなかったのの、それを喰っていた役者ぶりでした・・・そう言う感じでした。
 自分の勝手な思いでしたが、故人には
   城昌幸:若さま侍捕り物手帳

シリーズの若さま役を演じて欲しかったのだが(*)・・・ピッタリ役だと信じていました。 実現されなかったのはとても残念です。
 黙祷。
-----
(*):老生の記憶によれば、過去の若さま役は
   東映映画:故・大川橋蔵さん
   TVドラマ:故・田村正和さん、東山紀之さん
でした。

20221210:渡辺徹さん逝く(俳優) [故人を悼む]

 11月28日に逝去。 享年61歳。

 随分前から大病を繰り返しておられた事を訃報記事で知ったが、それにしても余りに早い旅立ちで、驚きでした。

 人気TVドラマ:"太陽にほえろ!" で愛称 "ラガー" の新米刑事役でデビューし、お約束通りに数年で殉職していた。
 その後も舞台に、映画に、TVドラマやバラエティ番組に出演され、活躍は続いた。

 マヨネーズ大好きとかで、半端無い愛好家だったとか、 奥様の榊原郁恵さんの食事舵取りで健康を取り戻して・・・と想っていたのだが。

 我がワイフ殿&老生には、故人の
   NHKEテレ:"地球ドラマチック"

のナレーターが大の好みだった。
 加えてラジオ好きの老生は
   NHKR2ドラマ:"少年探偵団"

がお気に入りだった。 確か、コロナ禍が本格化し始めた頃だったかに記憶している。

 そう*2、昭和世代の老生の記憶に残っているのは、山瀬まみさんと前田美波里さんを招いた昭和レトロ商品のなつかし紹介/解説TV番組だったが・・・確かTV東京版だった。

 あの穏やかな語り口がもう聴けないのか・・・と想うと寂しい限りです。
 黙祷。

20221121:白木みのるさん・・・逝ってしまっていた(役者&事業家) [故人を悼む]

 10日ほど前に突如の訃報記事が掲載され、驚きました。
 2020年逝去。 享年85歳若しくは86歳。

 某スポーツ紙が親族へ取材に出向いた折に知らされたとの事だ。
 故人は、なんと言っても
   公開TVコメディ:"てなもんや三度笠"

の "珍念" 役で出演されていた事で全国的に著名になったお方だ。
 故・藤田まことさん&財津一郎さんとの3人が活躍するTV版大衆演劇が大人気だった。 日曜夕方からの30分・・・1960年代の代表番組的存在だったのではなかろうか。

 故人は実業家としても成功していたとの事だ。
 コロナ禍の下、騒がれずに旅立った事は故人の希望だったのか。
 黙祷。

因みに:
 今と違って故人の身体的特徴を受け入れる事が無かったNHKとは "絶縁" 状態だった・・・とは、ネット記事で初めて知った。
 "皆様のNHK"・・・って事が文字通りなら、当時の私等日本人の多くが偏見の持ち主だったと言う事なのか。 しばしの自問でした。