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20180726:レイチェル・カーソン’ ”沈黙の春” - ”海” 版? [雑感]

 農薬による環境汚染の結果、春が巡ってきても鳥の囀り(さえずり)が聴こえず、辺りは沈黙・・・衝撃的な出だしで多くの人へ “化学物質の在り方” を迫った名著とされる(1962年)。

 図らずもこの書物を想い出させたのは、”マイクロプラスチック海洋汚染” 問題に関連してEU議会が打ち出した “2030年迄に使い捨てプラスチック製品の使用を禁止” する方針報道だ。

 マイクロプラスチックとは、文字通り微細化されたプラスチックの事で、今やこれが関与する海洋汚染が無視し得ない状況が背景にある。

 即ち、プラスチック製品が使用後に自然界に投棄され海洋に流れ込むと、波・岩・紫外線等の作用でゆっくりと物理的に化学的に分解・微細化され、極めてゆっくりではあるが海水に溶け込んだり、比重が大きいプラスチックや無機系添加剤等で海水より重くなった破片は海底へ沈み込む。 食品食材の包装資材として多用されているポリエチレンやポリプロピレンの比重は0.9台なので軽く、一般には海面下に沈む事は無いが、紫外線劣化を受けやすく低分子量化して微細な破片になり易い。

 微細化された廃プラ破片を海洋生物が餌と間違え、或いは一緒に体内へ取り込み、蓄積されていく事が既に学識者によって見い出され、報告もされている。 この意味するところは、食物連鎖の頂点に君臨する人間どもの体内へも遠からずにも取り込まれる、つまりは “ブーメラン現象” を起こす事が指摘されている。

 今回のEU議会の取り組みは “方針” であって確定された “法” には至っていない。 しかしながら、EU議会は加盟国の要職経験者とか貴族出の議員が多く、既往権益とのしがらみが少ない事から “理想論”・”あるべき姿” を追い求める姿勢が強い。 いずれは加盟国、更には世界各国の政策へ何らかの影響を及ぼすと見られている。

 実際、先の6月に開催された “G7@カナダ” でも議題となり、海洋汚染防止に向けたプラゴミ削減数値目標を盛り込んだ “海洋プラスチック憲章” が議論されたが、日本は署名しなかった(自国第一主義の米国も署名見送り)。
 我が国の言い分は、海洋汚染プラゴミ流出源は中国が断トツで、次いで東南アジア諸国とされており、”G20の対応が不可欠” というものだ。

 しかし中国は今やグリーン・カントリーを目指し、既に我が国・米国・EU等からの廃プラ(:容器包装類等の使用済みプラスチック)の受け入れを中止している(2017年12月31日以降)。 そう遠くない内に海洋投棄規制も当然進めるだろう。 結局のところ、廃プラの多くを “循環資源” の名の下に中国へ輸出して自らはリサイクルを進めて来なかった輸出国、廃プラ処理の行き場を無くした業界が混乱の極みに陥ており、我が国のプラスチック加工業界でも大きな課題となっている。 そんな折りだからこそ、G7のメンバーとして先見性・存在感を示して欲しかった・・・と悔やまれる。
 環境省の政策プランは先進的な面があるのだが、既往権益側、即ち産業界側に立つ経済産業省の政治力が圧倒的に強い我が国はいつもこうで、後手後手と遅れを取り、国際舞台では端っこの脇役に留まっているのが残念だ。

 海洋汚染が限り無く進めば、魚群の回遊も妨げられ、春の上り鰹・秋の下り鰹、梅雨時の鮎の河川遡上等の “便り” も無くなり、”海は沈黙” してしまうのか。
 加えて温室効果ガス削減に向けての取り組みにも関わらず地球規模の温暖化が限り無く進んで、異常気象が常態化され、やがては灼熱地獄になっていくのか。 あげくは、“海の沈黙” は “海の荒” になるのだろうか( Vivaldi のこの曲はお気に入りだが・・・)。

 最近、気象学者の言を伝え聞きましたが、気が滅入る事ばかりで、お酒がすすみませんでした。

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