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20240228:何処迄なら許されるのか( 原作/脚本間乖離・・・ ”改編/改変” 問題 ) [ただの私見]

 原作/脚本間乖離、つまりは ”改編/改変” 問題は何処までなら許されるのか・・・って言うよりも本来からして許され得る問題なのか。

 日テレが昨秋放送したTVドラマ:"セクシー田中さん"・・・原作からはほど遠い "改編" ならぬ "改変" が成されていて、原作者・雑誌社・TV局・脚本家間の取り組み方の "乖離" が指摘されている。
 老生は原作もTVドラマも観ていないので何も言えないが、雑誌社&TV局&脚本家の言い分は互いの "責任擦り" としか見えない。

ところで:
 原作と映画/TVドラマの乖離については戸惑う事が結構ある。
 老生の経験例として、
   西村京太郎原作:”終着駅殺人事件”・・・①

をあげたい。

 ①は、ミステリー物としての水準は原作者ご自身が語っておられた様に決して高いモノでは無いが、"十津川警部シリーズ" の一編として各民放TV局で多くのドラマ化がされてきている( 1981&2001年&2013年&2023年版 ← Wikipedia )。

 各ドラマ化毎に "脚本家が異なる" が、
   原作通りの犯人でないケース

が複数あって、老生としてはこれが "許せない"。
 多様な考え方があるだろうから、原作の一読者の立場からに過ぎない見方と言われればそれ迄だが "裏切られた" 感じさえする。

 原作者は既に2022年に旅立っておられる。 生前にTVドラマ化脚本について監修した事もおありだった様だが、果たしてミステリの "肝" と言える "犯人&犯因(=犯行動機/原因)の改変" 迄も承知されていたのだろうか。

 冒頭の様な事件を知ると、脚本家や制作側だけの意向によって犯人&犯因が変更されたケースもあり得た訳で、これだと到底納得出来ない。

そこで念の為に:
 対話生成AIに問いかけたところ、改変の理由としては、
   - 視聴者への新鮮味やサプライズ感演出
   - 原作の設定/筋書きを現代風にアレンジ
   - 特定の俳優やタレントを起用

等の為が考えられるとの事だったがなぁ・・・

更にAIから・・・:
 視聴者自身がそれぞれの作品を評価し、原作との違いを楽しむかどうかを決めるのが良いのではないでしょうか・・・何て諭されちゃった次第なのですが、ミステリに限っては納得感が無いのだ。