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20230807:論文著作者列記問題(7月31日放映 ”らんまん” を強制的に観せられて・・・) [ただの私見]

 先月末日のところで、主人公が渾身を込めて書き下ろした論文が単独名である事から指導教授が怒って研究室出禁としていた。
 これを観ていた我がワイフ殿が憤慨(?)して
   そんな! 教授が悪いっ!

と言って、昼の再放送を強制的に観させられた。
 老生の受け取りは
   この件に関しての限りでは "教授が正しい"

だったが、"訳" を話しても我がワイフ殿は納得していない様だった。

 論文の著作者をどう列記するのかは、功績に関わる事もあって古くて新しい、また洋の東西を問わない "難問" の一つだ。
 老生の経験では、論文主題当事者を筆頭とするのは当然だが、以下 "貢献度順"(これを評価するのは実は結構難しい) に、最期にはその指導教官たる "教授" か、若しくは "室長" としていた。

 純粋数学の様な孤独な頭脳の働きで未解決問題を解く様な事はあり得るが、一般の理工系領域での単独研究開発は今も昔も実質的にあり得ないからだ(個人の見解デス)。
 必ず "共同" 研究者とか、"支援" 者、更には大元になった "アイデア"、若しくは "ヒント" 提供者がいるのが普通で、筆者に加えない場合には少なくとも論文末尾に "感謝項目" を設けて謝辞を加えるのが真面な研究者の常道だ。

 問題となった論文の "肝" の指摘は指導教授だったのだから、"らんまん" 主人公はそこ迄の配慮をしなかった・・・と老生は理解した訳でありまする。
 そこ迄指導する人材に恵まれなかったせいかもしれないし、書き慣れない論文を仕上げた事に頭がホットになり過ぎていたのかも知れないが、論文執筆者列記問題に関する限りは主人公側の "分" は悪い・・・まぁ、毎朝のTVドラマだから、何とは無しに別の話題へ滑り込ませるのだろうけど。
 これは主人公のモデルとなった学識者の偉大とされる功績とは切り離しての問題だ。 "ごっちゃ" にしてはならない。

平行して想うのは・・・:
 今は大昔の映画のスタッフ紹介は大雑把だったが、最近のハリウッド映画のそれを観ると10分程もエンドロールが延々と続くのが普通になっていて、如何に大勢の人の共同作業によって製作されたかが解る。 いわば "映像記録史" って訳でもある。
 米国ではそれだけ意識が高い訳で、一方の我が国のはそれ程では無いけど、昔よりは詳しくなった。

結局:
 名前を列記するかどうかは、それ程に重要な、当事者にとっては神経を使う作業の筈なのだが・・・言い過ぎを承知で申せば、らんまん主人公は余りに "無智" か、"無頓着" か、"礼儀知らず" か、"自己中" と捉えられても致し方ない要素が多分にあると感じております。
 我がワイフ殿の理解が得られなかったのは残念ではありますが・・・

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