SSブログ

20220423:”折り鶴” 考 [雑感]

 所謂 "千羽鶴" ・・・願いや祈りの心情を表すモノとされるが、自己完結の場合には何の問題も無い。
 が、贈る場合、寄り添う心の想いであっても相手側のどれもが/誰もがその真意を理解出来る訳では無い。
 最近、ウクライナが受けている被災に心を寄せて千羽鶴を駐日大使館へ贈ると公表した施設があって、受け取る側の都合/事情を考えた事があるのか等々の批判が巻き起こった事をネットニュースで知った。

 善意から贈られてきたものだから
   -無碍に断れない
   -置き場に困る
   -むやみに廃棄も出来ない

等々の受け取り側の困惑があるのは事実で、千羽鶴の習慣の無い海外だけでは無い。 我が国の場合にも表には出ないがその実例を自分は知っている。

それは・・・:
 某県某市の世界的に著名な施設へは毎年、千羽鶴が
   数量:1千万羽/重量:10トン

程も送られて来ると言う。
 毎年の事で、保管し続けるには限度がある。
 その送り手の心が解るだけに廃棄する訳にはいかずに、内心は困り果てているそうだ。

 かって、それを集めて有意な再生(:折り鶴⇒紙繊維抽出⇒再生(レーヨン)⇒製品化)を試み、海外で開催された万博の日本館の一隅に展示された事があった(2010年)そうだが、一過性に終わっている様だ。
 2020東京五輪パラリン大会では不要ケータイから回収された貴金属を含むメダルが話題になったが、千羽鶴由来レーヨン加工品も格好のトピックスになった筈だが、機会に恵まれなかった様だ。 

 今のウクライナ被災者の方々に必要なモノは何か・・・を考えてから心寄せる気持ちを表す一呼吸が必要・・・と想う次第です。

共通テーマ:日記・雑感