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20220411:自分は ”理解出来ん” 人間デス( ”ドライブ・マイ・カー” ) [自分の事]

 今年のアカデミー賞国際長編部門で受賞したこの作品は、村上春樹氏原作の同名短編小説の映画化版・・・と言っても大幅に改編されたものらしいが、昨年来、米欧の著名な映画祭で栄えある賞を受賞し続けている。

 らしい・・・と申し上げたのは、自分は村上春樹氏のどの作品をも読んでいないからだ。
 同氏は
  人間には "二種類" あって、
  ドストエフスキー:"カラマーゾフの兄弟"
  を読破した人(A)とそうで無い人(B)だ

と申されているらしい(日経紙:2022年3月31日付け朝刊第一面コラム "春秋" )。
 この分類で言えば、自分は遠い昔の話だが "A" だ(が、その内容は既に頭の中から完璧に逃げ出してしまっているので今の基準から観れば "B" かも)。

だが・・・:
 同じ言い方があるとすれば、
  人間には二種類あって、
  村上春樹氏作品を読破している人(A’)とそうで無い人(B’)だ

も立派な命題で、これについては自分は未だに、恐らくは今後とも "B’ " だ。

 そのせいで "ハルキスト" はおろか、 "村上ワールド" に入ろうとしない為なのか、或いは大きく改編されたからか、海外映画人から絶賛されているらしい表題映画を観ても、演出家にして役者でもある主人公が亡くなった妻を想い出す過程で彷徨う心のあり方、言ってみれば心の襞の動きの何処に焦点をあてた話なのか理解出来ていないでいるのです・・・未だに。

 米欧映画祭で投票した映画人って、すげぇ~頭いい人ばかりみたいだ・・・な?
 そんな訳で、人間観察にかけては些か自信喪失気味(?)デス・・・が、これって変なのでしょうか?