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20220419:四半世紀ぶりに鑑賞( ”トキワ荘の青春” ) [気晴らし事]

 先週末の事。
 録画リストを見ていたら、4月11日に放送されていた首題映画があった(NHKBS)。

 はて・・・?
 録画した覚えは無かったが・・・と想っていたら我がワイフ殿が
   気を利かして録画しておいたのよっ!

って事だった。

 トキワ荘の最寄り駅は西武池袋線椎名(しいな)町駅@豊島区(東京都)だった事もあって、同線桜台駅/練馬駅間に住んでいた事のある老生にはそんなに縁遠い感じのする所では無かった。
 また当時からの少年週刊誌の事を話していた事があって、それを覚えていた我がワイフ殿が気を利かしてくれたのだった・・・(^_^)

 つい先だって旅立たれた藤子不二雄Aさん(*1) を偲んでの放送だったが、この映画は今は有名だが当時(1950年代)は全くの無名,或いはそれに近かった漫画家志向の若者達の "熱気" と "挫折" を描いている。

 既に "背番号0" で独り立ちしていた本木雅弘さん演ずる故・寺田ヒロオさんを中心としているのだが、エピソードを知っていないと筋書きを追っていけないところが多分にある・・・果たして我がワイフ殿には余り関心を湧かせなかった様だ。

 自分は当時の読者層の一人だったからよく覚えているが、50年代は少年少女を対象とする漫画は月刊誌だったのが、1959年に週刊少年サンデーが創刊された以降はそれ迄の "ほのぼの" 漫画から "テンポの速い" 漫画へと全体の流れが移行していった様に想う。
 それからは、貸本の世界から生み出された "劇画" がより年上の年代層に読者を見つけ出した1960年代へと移りゆく時期でもあって、"スポーツマン金太郎"(少年サンデー誌創刊号から連載)が大評判を呼んだにもかかわらず寺田ヒロオさんは時流に乗らずに表舞台から去って行くのだが、映画ではそれ以降の事は勿論描かれていない。
 トキワ荘にあってこその青春・・・と言う訳だろうか。

ついでながら・・・:
 老生の実弟は "サラリーマン金太郎" の大ファンだった。
 寺田ヒロオさんがトキワ荘を去った一時期、練馬区に移り住んでいた事があって、サインを貰いに行った事があった。
 当時は作家等の住所も公開されていた時代でしたなぁ・・・そんな時代でした。
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(*1)20220415:藤子不二雄Aさん 逝く(漫画家)

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