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20171214:格闘技に潜む ”暴力的要素” に関する一考察(一部経験論を含) [ただの私見]

 本日のブログはボツにするかと考えておりましたが、思い切って投稿する事としました。
 元横綱日馬富士関殴打事件に触発された "すこぶる付き少数派" の独りよがりなブログであり、真っ正直な方々や貴ファンの方々にはご不快をおかけしますのでお見過ごし下さい。

 "相撲" の発祥は "野見宿禰"(のみのすくね:怪力無双) と "当麻蹶速"(たいまのけはや:足蹴り名人)との天覧試合だったと言う("当麻蹶速" については "WikiPedia" で確認)。
 この試合は、野見宿禰が当麻蹶速を倒しても "更に激しい足蹴り" を続けて "死なせた" とも伝えられている。
 今では "神道" に結びついた "神事" とされ、礼節を重んじられるものの、その起源は穏やかな言葉では無いが "殺人を伴う対戦" だった訳で、暴力的要素を根に含む格闘技であった事は否定出来ない。

 格闘技にあっては、禁じ手を含む厳密なルールが定められ、それに従って正しく組まれればそれは "スポーツ" とされ、柔道・柔術・空手、ボクシングやレスリング等がすぐにでも思い浮かぶ。
 自分は "疑問" に想うところがあるが(⇒その理由は後で)、大相撲もその一つとされている。

 スポーツは本来勝たなければ栄誉は得られなし、格闘技にあっては観戦者は激しいコンタクト・プレーを望み、応援する選手/チームの勝利を願う・・・という宿命を持たされている。
 選手の立場からは、接触場面では禁じ手すれすれのラフなプレーもあり得るし,審判が見逃せば違反プレーもお咎めが無い。
 一方、選手を、或いはチームプレイであれば選手団を率いるコーチ・監督陣は勝利を目指して指導するのだが、思った通りに行かないと "力づく" で教えようとし、それが過ぎて暴力的指導となってしまう事も現実としてある。
 コーチ・監督はその道の優れた先達等で、"どうしてこんな事が出来ないのか" と理解出来ないケースが多いからだ(高校野球でよく見られる事件の背景の一つでしょう)。

 勝敗のつかない格闘技があるとは想えないし、仮にあったとしても勝ち負けの無い格闘技には自分は関心を寄せる事は無い。
 どんな場合でも暴力は否定されるべきものだが、今回の元横綱日馬富士関事件に関して TV でよく見かける様にカメラに向かって "暴力は駄目・日馬富士が悪い" と言うのは簡単だが、大相撲に限らず学生を含む全ての勝敗を争うスポーツには、当事者等に常に暴力的要素が顕在化する機会が潜んでおり、"闘争" に勝ち抜く事は生物にとっての種の保存から来る避けられない本能でもある事から、今後もこの種の事件が無くなる事はあり得ない・・・と自分は考えます。
 たとえそれが国技とされる競技であっても。

そこで:
 それにしても今では元横綱になってしまった日馬富士関事件のTVの報道ぶりは "興味本位" で騒ぎ立てるばかりで酷かった。
 以下は年寄りの、このブログテーマ通りの "どうでも良い" 、自分限りの感想です:

① "綱の権威・綱の責任の重さ" と言うが、横綱審議会は "横綱に推挙した責任" については "何処吹く風か" だし、大相撲取材歴何十年と誇る記者・解説者の方々は暴力的指導に気がついていた筈なのに "見て見ぬふり" していたに違いなく(そうでなければ取材力の無い傍観者に過ぎない)、したり顔であれこれ言うのは "無責任" としか言い様がない。

② 大相撲は日本古来の競技と言うが、実力のあるモンゴル勢が上位を今後とも占めそうな事は、皮肉なことに "国際化" が進んでいる証拠でもある。
 強過ぎると言っても、彼等は本当に強いのだし、強い関取を望むファンがいる限りこの勢いは止まる筈もない(自分は強い者が好きで、判官贔屓は嫌いだ)。
 彼等に礼節を重んずる事を教えるのは無理なのか・・・といったブログも見かけますが、礼節を重んじているとは想えない日本人力士もたくさん見かける事も直視しましょう。

③ モンゴル勢同士で "星勘定" を合わせていると言う噂があるそうだが、元関取・某相撲解説者は、かっての八百長事件の際、"大相撲はそういう事は言わない粋な世界なのです" と明言しており、正に名言だ(某公共放送で確かに聴いた覚えがある)。
 星勘定しているのは彼等だけに限らない、そんな事言いなさんな・・・と言う事でしょう。
 大相撲とは純粋なスポーツとは違う存在で、"タニマチ" と呼ばれる特別な存在が酒席に贔屓する関取を呼びつける風習は今に活きているし、相撲取り同士で忖度しあう事も有り得る特殊な神事なのです。

④ 横綱白鵬の取り口が "品格" を欠くと貴乃花親方は指摘されているとの報道だが(←最近はこれに同調して殴打事件の本質を見ようとしない報道が多い)、自分はそうは思わないし、組織に身を置きながら自分の信念 "だけ" を正しいとして優先し、厳しい条件の下でのみ存在が許される公益財団法人としての規約を守らない在り方の方を自分は嫌う。

 彼について付け加えれば、公益財団法人理事としての責務を果たしているとは想えないし、既に資格を失っている。
 更に言えば、自らの部屋に所属する力士の言論を封じ込め、外部への自由な発言を許さないのは独善者と指摘されても否定出来ない(貴ファンの方々、ごめんなさい。少し言い過ぎました)。

 ここまでお読み下さった皆様に感謝致します(どうかお忘れ下さい)。


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