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20200810:政治力と学力との乖離(かいり) [ただの私見]

 何処の国に於いても大学に "表から" 入るには、そこが要求する最低限の "学力" を越えなければならない。
 まぁ、限定的ではあるが一応の指標には "偏差値" がある。
 が、この値は入学時点での学生の学力の一面を計る指標とはなるが、卒業後、社会へ出ての活躍に直結するのかといえば、既に半世紀以上も前に "相関が無い" 事が米国で統計的に証されている。

 米国の大学は、多額の寄付金を納めればの話だが、"そこそこの高校生でも名門校でさえ入学できる例が多いからだ" との説もあるが(*1)、一般的には統計上 "卒業生の実社会における活動の評価は入学時偏差値では計れない" ・・・ と言う訳だ。

 我が国でも、企業人事課の社員評価と大学偏差値の間には高い相関は無い事が時に新聞種になっている事からも解る様に、偏差値順の大学序列と卒業生の評価序列が一致しない事例が多い。

が:
 これはあくまで統計的な話あって、"例外が無い事を意味している訳では無い"。
 最近の我が国の政治を見ると、つくずく "この例外が罷り通っている" と感じてしまう。

 一度決めた政策が "誤り" と解っていても直さない・・・強引な政治力で押し通した政策が軒並み "ペケ" になっても容易には修正しない事例が今回のコロナ禍では嫌という程に何回も見て来ているのは皆様ご存じの通りだ。
 今回のコロナ禍は、未曾有の災害で、全ての現役政治家にとって未経験であり、従って "経験知" を活かせる政策が何時でも取れる訳では無い。
 "朝令暮改" があっても、少しでも合理的な方向への方針転換は許される筈だし、むしろそうなら歓迎モノだ。
 それが出来ないのは、"政治力" があって官僚を支配し、業界の支援はするが、多くの国民の生命を脅かす政策だとの "理解力"、即ちチコット強引だが "学力" が伴っていないと解釈するのが解り易い・・・と自分は考える様になった。

 少なくともコロナ禍対策で見る限り、最近の反国民的政策を推し進める行政トップたる総理大臣、及び官房長官のご出身大学を見るに付け、誠に失礼ながら "半世紀前の米国調査結果の例外" を見せつけられる想いがしてならない。
 政治力はずば抜けているのだろうが、学力はご出身大学偏差値程度・・・って事だ。
 言い過ぎだったらゴメン・・・ね。
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(*1):日本でも同じじゃん・・・って声が聞こえてきそうですが、米国では受け取る側が大学本体、対して我が国では理事長の裏金なんて例が幾つもありましたねぇ。
 米国の大学の場合、この多額の寄付で本来の裕福では無いが優秀な人材を支援するという名目があって、堂々としているそうだとか。




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