20221008:アントニオ猪木さん逝く(格闘技家) [故人を悼む]
10月1日に逝去。 享年79歳。
故人が "燃える闘魂" でいつも話題を呼んでいた事は知っているし、そのパフォーマンスも独特だったと感じている。
格闘技好きの自分ではあるが、余りにショ-化したプロレスはチコッと好みからは遠く、観戦する事は無くなっていた。
かって奥様だった方が
アントンはいつも頭にあるのはブラジルの事ばかり
って仰っていた事を今更ながら想い出す。
ここ横浜ご出身で、中学生時代に家族揃ってブラジルに移住。
その先で故・力道山の巡業中にスカウトされ、その後にプロレスラーとして一世を風靡した事も知っているし、異種格闘技戦として世界中から注目された故・ムハマド・アリ(改名前:カシアス・クレイ)氏との闘い(1976年6月@東京)は前評判とは裏腹に拍子抜けした思いも残っている。
ボクシング選手は立ってだけの勝負なのに、レスラーの方が仰向けに寝た姿勢の足蹴りだけでは真面な試合にならず、正直面白くなかった。
それでも政治の世界に関心をお持ちだったのか、国会の先生にも選出された事もあった。
特別に覚えているのは独自のルートをお持ちだったのだろう、北朝鮮へ数回訪ねている事だ。 この度の旅立ちをこの国のトップが弔意を示すのかどうか、気を付けておかなければなるまい。
因みに:
故人を一度だけだがお見かけした事があった。
何時の頃だったか定かでは無いけど、紀ノ国屋世田谷店(@東京都世田谷区)での買い物清算時に、私等夫婦の前に並んだのが故人だった。
肩幅が広い方だったが、背丈は特別に高い・・・とは感じなかったか。
激しい競技人生を送られているのだからお肉類をどっさりお買い上げされているのだろうなぁ・・・なんてさりげなくバスケットを覗いたら数点だけで、意外感仕切りでした。
レジ清算時もお辞儀しながら物静かで、礼儀正しかったのも今や懐かしい想い出になりました。
難病と闘われての旅立ちと訃報記事にあった。
いろいろとお疲れ様だったに違い無い。
黙祷。
故人が "燃える闘魂" でいつも話題を呼んでいた事は知っているし、そのパフォーマンスも独特だったと感じている。
格闘技好きの自分ではあるが、余りにショ-化したプロレスはチコッと好みからは遠く、観戦する事は無くなっていた。
かって奥様だった方が
アントンはいつも頭にあるのはブラジルの事ばかり
って仰っていた事を今更ながら想い出す。
ここ横浜ご出身で、中学生時代に家族揃ってブラジルに移住。
その先で故・力道山の巡業中にスカウトされ、その後にプロレスラーとして一世を風靡した事も知っているし、異種格闘技戦として世界中から注目された故・ムハマド・アリ(改名前:カシアス・クレイ)氏との闘い(1976年6月@東京)は前評判とは裏腹に拍子抜けした思いも残っている。
ボクシング選手は立ってだけの勝負なのに、レスラーの方が仰向けに寝た姿勢の足蹴りだけでは真面な試合にならず、正直面白くなかった。
それでも政治の世界に関心をお持ちだったのか、国会の先生にも選出された事もあった。
特別に覚えているのは独自のルートをお持ちだったのだろう、北朝鮮へ数回訪ねている事だ。 この度の旅立ちをこの国のトップが弔意を示すのかどうか、気を付けておかなければなるまい。
因みに:
故人を一度だけだがお見かけした事があった。
何時の頃だったか定かでは無いけど、紀ノ国屋世田谷店(@東京都世田谷区)での買い物清算時に、私等夫婦の前に並んだのが故人だった。
肩幅が広い方だったが、背丈は特別に高い・・・とは感じなかったか。
激しい競技人生を送られているのだからお肉類をどっさりお買い上げされているのだろうなぁ・・・なんてさりげなくバスケットを覗いたら数点だけで、意外感仕切りでした。
レジ清算時もお辞儀しながら物静かで、礼儀正しかったのも今や懐かしい想い出になりました。
難病と闘われての旅立ちと訃報記事にあった。
いろいろとお疲れ様だったに違い無い。
黙祷。