SSブログ

20201105:ショーン・コネリーさん逝く [故人を悼む]

 10月31日に訃報。 享年90歳。

 初代007役で知られるが、奇しくも何度も舞台となったバハマ滞在だったそうだ。
 尤もスコットランド生まれで英国連邦からの独立主義者としても知られていて、
  "実現される迄はエジンバラには帰らない"
と広言されていた様なので、その通りにされたと言う事かも。

 余りの成功にイメージの固定化を嫌って007役から離れる事を意図していろんな役を演じられたが、自分としては
  "風とライオン"(1975年)
がお気に入りだ。

 戦争物では
  "史上最大の作戦"(1962年)・・・ちょい役
  "遠すぎた橋"(1977年)・・・それなりに重要な役どころ
が記憶に残る。

 娯楽アドベンチャー物では
  "インディ・ジョーンズ ’最後の聖戦"(1989年)
  (主人公を喰わない "とぼけた役" に徹していた)

 ミステリー&それっぽい物では
  "わらの女"、"マーニー"(1964年)、
  "オリエント急行殺人事件"(1974年)
  "薔薇の名前"(1986年)
  "ロシア・ハウス"(1990年)
辺りか。
 中でも "薔薇・・・" が良かったが、"ロシア・・・" も味わい深い。

 羨ましい程に見事に年齢を重ねられた方で、幅広い役をこなしていました。
 が、最晩年は "認知症に苦しんでいた" との外電(2日)にはショックでした。
 黙祷。

付け加えると:
 "007ドクター・ノオ"(1962年):
   封切り時のタイトル:"007は殺しの番号"
 "007ロシアより愛を込めて"(1963年):
   封切り時タイトル:"007危機一発"
だった。
 この "一発" は正しくは "一髪" だが、映画の内容を良く表しているとの事で "一発" としたそうです。
 当時、日本語にうるさい先生方が "異論" を唱えた事を覚えています。
 また当時は
  007:"ゼロ・ゼロ・セブン"(人によっては"ゼロ・ゼロ・ナナ")
と言っていたが、いつ頃だったか英語圏版同様に
  007:"ダブル・オー・セブン"
と言う様になった。
 その証左の一つとなるかどうか、それ迄の傑作の一つ
  石ノ森章太郎:サイボーグ009=サイボーグ・ゼロ・ゼロ・ナインでした。

付け加えると-その2:
 ラジアル・タイヤのTVCMも記憶に。
 Rで始まる商品名って、発音が・・・このCMで意識したモンだったが・・・
 それに、スコットランドご出身にもかかわらず、日本のウイスキーのTVCMにも出演されていたなぁ・・・
 存在感ある方でした。



共通テーマ:日記・雑感