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20221011:ローカル野球にしちまった(野球中継@フジTV系列) [雑感]

 村上選手@ヤクルト・スワローズ(セ・リーグ@NPB)の56号ホームランは "劇的" だったが、それを帳消す様なTV中継解説者がいたそうな。
 10月3日に開催された対DeNA最終戦・最終打席でのホームランだったが、解説者が
   世界を越えた!
   歴史の頂点!
   ホームランの頂!

って叫んだらしく、さすがに
   これは違うだろう

ってネットで叩かれたそうだ。

 NPBのホームラン数頂点は強力助っ人バレンティンの60本(2017年)の筈だが、暗黙の内に "ゲージンを除いた記録" に固執したからだ。 因みに、こう言うのを昔の人はネガティブ・イメージで "島国根性" って言ったがなぁ。

 残念ながら王選手の800本を越えるホームラン記録はNPBの枠内でのそれで、米国等では彼を "日本のホームラン王" と紹介はしているが、"世界のホームラン王" とは称して言い無い。 王選手自体がその事を十二分に理解している・・・とご自身お話しした事があった筈だ。

 が、同じ土俵での記録について、MLBでは選手の国籍は問題にしない。
 だから、昨季迄は一部に "懐疑的" に観られていた二刀流だったが、今季の投手としての規程投球数(=試合数)&打者としての規程打席数をMLB史上初に同時クリアしたオータニ選手は驚きをもって迎えられている。

 また、NPB+MLBの通算記録は同じ土俵では無いので、騒ぐのは我が国だけの様だ。
 かってイチロー選手のヒット数についてもピート・ローズ選手は
   NPB+MLBが通用するなら、
   俺のはマイナーリーグ等+MLBの記録で評価してくれ

って言ったとの報道を何かで読んだ記憶がある。

 NPBの枠内なら、国籍に無関係で記録競争をしてこそ、"世界のNPB" だ。
 56号ホームランが歴代2位だって、若干22歳の選手が叩き出した記録で、立派すぎる素晴らしい記録ではないか。
 日本人最高記録・・・なんて姑息な表現は止めにして欲しい。 村上選手自体が
   来季は61号打ってやる

って決意しているに違い無いだろうし。
 ここは素直に応援したい。

20221010:不適切な人(”ペルソナ・ノン・グラータ”) [雑感]

 駐在外交官等に適用される "ウイーン条約" で規程されているらしい。 駐在許可国が、自国にとって好ましくなくなった人物に対して国外退去を強制的に要請出来る仕組みだ。
 大抵は、機密情報活動に関わる疑惑等が理由とされる "不適切人物" だ。
 つい最近、露国駐在日本大使館員がこの名目で退去要請されたが、この "お返し" かどうか、我が国も露国大使館員を指名した。
 これで "おあいこ" になった訳だ。

 こう言う例は結構例が多いらしいが、自分が初めてこの仕組みを知ったのはG13シリーズの中で、ずばりこのタイトルの短編だった。 想うに "必読の一編" です。

ところで:
 今に生きる外交戦略/戦術であって、情報戦争も裏舞台では真っ盛り・・・と言う訳だろうが、不適切な人物は何も外交上の事ばかりでは無い。

 カルト教団との接点も第三者からの否定のしようも無い指摘が無い限り自らは "黙まてん" を決め込む某衆議院議長や某大臣とか、自分の息子を秘書官に任命したりする公私混同総理大臣なんかも、国民から観れば "ペルソナ・ノン・グラータ" じゃぁないのか。
 他にも例えば・・・って例を挙げれば切りが無いし、名誉毀損で訴えられちゃぁ馬鹿*2しい限りだ。

そう言えば:
 事実は小説よりも奇なり・・・って言い回しがあったけど、こいつは
   事実は小説よりも汚ぇ不都合だらけ

って事ですかなぁ・・・寂しい限りデス。

20221009:”無理”が通れば ”道理”が引っ込む [雑感]

 誰が言い出したのか、昔の人はまるで今の世の中を予見していた様だ。
 聴く力自慢の総理大臣は、国論二分の中、国会論議をすっ飛ばす無理筋を押して国葬を進めてしまった様にしか見えないし、露国のウクライナ軍事侵略に道理は見えないし、北朝鮮のミサイル発射も飢餓を超えての核武装へまっしぐら無理*2政治だし、お隣大陸国家では政敵を押さえ込んでの "3+1権"(立法/行政/司法+軍)トップに居座る様だし、道理の世界は何処にあるのか。 霞んでしか見えない。

 世の中どちらを向いても、もはや
   話せば解る時代では無い

様な気さえしてしまう。

 "危険な時代" だ。
 こんな時代を背景にしているからだろうか、我が国の防衛力を増強する政策がたてられ、その経費を何処から調達するのか、"戦時国債" みたいな事、考えてんのかなぁ。

 今の日本はかってのような経済超大国では無いので、あれもこれも・・・って訳にはいかなくなってしまっている。 そんなもんだから、国が国債をジャン*2印刷して発行し、一端市場に出した途端に日銀が買い上げる・・・こんな金融/財政政策は本来は "禁じ手" の筈で、何時迄も続く無理筋ではないだろうに。

 無理を押し通して道理を引っ込めている様な方々は、銀行再編の話とか、為替を巡る国際間攻防とか、国債乱発が導く結末なんぞ、たまにはG13シリーズから探し出して勉強したらどうか。
 無理筋は結局は通らない・・・って事が解る筈だ。
 まぁ、G13がいてこその・・・って言われれば、それ迄なんですけどね。

20221008:アントニオ猪木さん逝く(格闘技家) [故人を悼む]

 10月1日に逝去。 享年79歳。

 故人が "燃える闘魂" でいつも話題を呼んでいた事は知っているし、そのパフォーマンスも独特だったと感じている。
 格闘技好きの自分ではあるが、余りにショ-化したプロレスはチコッと好みからは遠く、観戦する事は無くなっていた。

 かって奥様だった方が
   アントンはいつも頭にあるのはブラジルの事ばかり

って仰っていた事を今更ながら想い出す。

 ここ横浜ご出身で、中学生時代に家族揃ってブラジルに移住。
 その先で故・力道山の巡業中にスカウトされ、その後にプロレスラーとして一世を風靡した事も知っているし、異種格闘技戦として世界中から注目された故・ムハマド・アリ(改名前:カシアス・クレイ)氏との闘い(1976年6月@東京)は前評判とは裏腹に拍子抜けした思いも残っている。
 ボクシング選手は立ってだけの勝負なのに、レスラーの方が仰向けに寝た姿勢の足蹴りだけでは真面な試合にならず、正直面白くなかった。

 それでも政治の世界に関心をお持ちだったのか、国会の先生にも選出された事もあった。
 特別に覚えているのは独自のルートをお持ちだったのだろう、北朝鮮へ数回訪ねている事だ。 この度の旅立ちをこの国のトップが弔意を示すのかどうか、気を付けておかなければなるまい。

因みに:
 故人を一度だけだがお見かけした事があった。
 何時の頃だったか定かでは無いけど、紀ノ国屋世田谷店(@東京都世田谷区)での買い物清算時に、私等夫婦の前に並んだのが故人だった。
 肩幅が広い方だったが、背丈は特別に高い・・・とは感じなかったか。
 激しい競技人生を送られているのだからお肉類をどっさりお買い上げされているのだろうなぁ・・・なんてさりげなくバスケットを覗いたら数点だけで、意外感仕切りでした。
 レジ清算時もお辞儀しながら物静かで、礼儀正しかったのも今や懐かしい想い出になりました。

 難病と闘われての旅立ちと訃報記事にあった。
 いろいろとお疲れ様だったに違い無い。
 黙祷。

20221007:三遊亭円楽師匠逝く(噺家) [故人を悼む]

 9月30日に逝去。 享年72歳。

 つい先だって圓窓師匠の旅立ちがあったばかりなのに、今度は "同門" 六代目円楽師匠の訃報に些か驚いた。
 自分にはこの呼び名よりも "楽太郎" 師匠の方が馴染みだが、想い起こせば六代目襲名から10年以上も経っているのだ。
 何処の訃報記事でも、あのご長寿番組 "笑点" で、圓窓さんが退いた後に大喜利レギュラーの座に着いた事に触れているのは当然だと想うけど、そう言う役回りだったのか、そこで演じられた "故・歌丸師匠弄り" って言うか、キャラとして設定された "年寄り虐め"/"腹黒芸" を自分は好まなかった。

 また一門の大名跡であり、"止め名" とされてきたところの "圓生" 名を飾っておくだけでは無く後継が引き継ぐ機会を設ける意図で名乗りを上げようとされている・・・との報道記事を見かけた事があったが、自分は何となく・・・ピンとこなかった。

だが・・・:
 本当は今の日本で失われているユートピアを取り戻すためにも落後の世界へ若い人々に招く事に奔走されておられたとか・・・訃報記事類から初めて知る事でした。

 自分が知らされていたお人柄はTVからの "虚像" だったんですねぇ。
 素直に黙祷です。

20221006:未だ使われてる?(”男”らしさ/”女”らしさ) [雑感]

 先月開催された大相撲秋場所@国技館は、千秋楽取り組みで高安関を下した玉鷲関の二度目の優勝に終わったが、NHKTV解説でお馴染みの元横綱北の富士氏が翌日付け中日スポーツ紙に寄せたコラム見出しがこうだった:
   勝った玉鷲も負けた高安も "男らしい" 立派な態度は好感が持てる
   (ここで、”&”は当方付記)

ところで:
 最近のTV番組MC等は
   "男らしい" とか "女らしい"

なんて形容すると、"とたんに" どこからか言葉尻を捉えた様な "いちゃもん" がつくのか、特にNHKのアナなんかからはこう言うのを聴いた事が無い・・・自分の印象に過ぎないのだが。

 北の富士氏が
   どの様な立派な態度をもってして男らしい

と形容したかは知る由も無い "謎" だが、推察するに彼から
   女らしい立派な態度

なんて形容される方がおられるのかどうか、"純粋な気持ち" から老生は知りたいもんだ。

 今の言葉狩りが進んじゃうと、"男らしい" とか "女らしい" なんて形容が敬遠語どころか、禁語になっちまう。
 そうしたら北の富士氏はどういう言い回しするんだろう・・・ふと、そんな事を想って苦笑いしてしまいました。

20221005:カボチャの問題 [食]

 今春以降、食材食品のあまりの高騰が続いていて、我が家なんぞは "四苦八苦" どころか、"十苦二十苦" も超えている始末でありまする。
 野菜等は "小分け" が当たり前になってきていて、最近はレタスさえもが2二つ割りなんかが出てきた。

 が、自分等が利用しているスーパーに限った事なのか、
   カボチャは一個丸ごと

の陳列だ。
 時に甘み煮付け調理済み品も見かけるが、やはり味付けは好みがあるので我がワイフ殿は一個丸ごとを買い求める。

ところが・・・:
 カボチャは二つ割り四つ割りして細切れにするのが大変だ。
 皮が固すぎて出刃包丁のお出ましになるが、やはり危ない。
 ハンマーで叩くのだが、手元が狂ったりしたら・・・

 たしかに "カボチャ・カッター" と称する押し切り型があるが、年がら年中使う訳でも無いから¥数万もかけて買う気にはならない。
 どうして二分割/四分割したものを売っていないのか。
 手間がかかる・・・って言ったって、機械仕掛けでやりゃぁ簡単な筈なのに・・・日持ちしないからか?

 何とかしてくれ・・・我がワイフ殿の悲鳴でもあります。
 尤も、ここだけの事でありますが、自分はカボチャ料理を余り好まない。

20221004:”責任”の所在&その取り方(個人か会社か@”玉川発言”) [雑感]

 ・・・又だよ。
 TV朝日’"羽鳥慎一モーニングショー" は朝の情報番組として人気らしいが、自分はコメンテーターとして出演するTV朝日社員’Mr.玉川の発言の多くに "胡散臭さ" を感じ取っているので、今は昔から観る事は無くなっている。
 例えば、観光地の水涸れとかで、フェイク種を検証もせずに自ら番組で発言して拡散させる等、"お得意技" としている様だ。 そして "お決まり" は翌日の番組で
   事実ではありませんでした。

と謝罪の "ふり" をして何事も無かった様にやり過ごす・・・そういう風にしか、自分には見え無い。 年寄り特有の偏見と言われれば、それ迄かも・・・とは想っていない。

 今回の故・安倍元総理大臣 "国葬" 時の菅前総理大臣弔辞内容についても、
   "電通が入った文言" で、
   感動を呼び込む何時もの政府の手

の様な発言をしたらしい(28日放送時)が、"予定通り"(?)に翌日の放送で
   事実ではありませんでした。

と申し立てて "幕引きを図る" のも何時もの手だ・・・"無責任の極まり" としか感じ取れない。
 確か似た様な事を
   マッチポンプ

って昔の人は言っていたが。

 個人の体質なのか。
 それとも、五輪パラリン東京大会2021閉幕後のTV朝日主材チームの "らんちき騒ぎ" の時も "通りいっぺんの謝罪" で済ませてしまっていたが、そう言う会社自体の組織的体質なのか。

 責任を謝罪表明だけで済ませしまう。 どっちもどっちで、どうやらこの会社自体が同じ体質の持ち主を社員に迎えている "やらせ" では・・・としか理解出来ない自分だ。

 この種の個人攻撃(もどき)にもなってしまうブログ種は意図する事では無いけど、国葬賛成反対論争以前の問題なので敢えて投稿した次第だ。
 何故って、TV番組における出演者の発言はその真偽にかかわらず素早く拡散してしまうのが今の時代だ。 出演者は、ファクト自体こそが報道の価値があるのであって、その一言*2に責任を持つべきだ。

ついでに・・・:
 "一言の誤り" で事を済まそうとする体質は、つい最近明らかになった陸上自衛隊に於ける女子隊員への男子隊員によって繰り返えされた所謂セクハラ事件に対する "隊としての対応" にも感じられるのが残念だ。

 別に自衛隊だけの問題ではあり得ない。 こういう無責任体質が残っている限り、その組織の将来性は危ういのではなかろうか。
 またそうでないと健全な社会にはならんだろう・・・そんな感じがする。
 それもこれもに腹が立ちますなぁ・・・

20221003:石井いさみさん逝く( ”ナナハン”・ライダー原作者) [故人を悼む]

 9月17日に逝去(訃報:24日)。 享年80歳。

 '70年代央から '80年代前半にかけて(青)少年等を夢中にさせたヒット作品:
   750ライダ-(ナナハン・ライダー)

の原作マンガ家だ。
 週刊少年チャンピオン誌(秋田書店刊)に連載されていた。
 ここで言う "750" とは
   750ccオートバイク "ホンダ・ドリーム号"

の事で、当時では滅多にお目にかかれない程に超精密に描かれていた。
 これに乗って通学する主人公は、初めのうちは眼光鋭い不良っぽい "劇画調" 高校生だったが、人気が出初めてしばらくすると "ギャグ" マンガっぽい戯けた感じの少年に絵柄が変わっていっちまって、自分は読むのを止めてしまっていた・・・ので、結末は今以て知らない。

 当時はオイル・ショック前の "行け*2時代" のせいか、バイクとかスーパーカーを乗り回す少年マンガが多かった。 池沢さとしさんの "サーキットの狼"(週刊少年ジャンプ)がそうだったか。
 残念な事には、オイル・ショック後はバブル期前までは景気後退時期で、この種のマンガは勢いを無くしていった感じがしました。
 でも少年漫画界の一時代を築いた功績は大きい。
 黙祷。

追記:
 コロナ禍の影響か、単独走行が楽しめるオートバイ人気が2020年以降になって再燃していて、若者どころか、中年以上の方の免許取得数が増えているそうだ。
 また遠ざかっていた方が戻ってきてオートバイを再び楽しむ人も増えてきているとか・・・この方々の事を
   リターン・ライダー

って言うらしい(日経紙:2022年9月24日付け夕刊くらしナビ紙面)。
 とすれば、そんな方々が "ナナハン・ライダー" を想い出して、こちらも人気再燃?・・・そうなれば故人への功徳になり、その心としては "挽歌" のつもりになってくれれば。

20221002:ニャン落下問題 [ニャン]

 どうしようも無い長文ブログなのでご注意下さい。
 お時間あればどうぞ。

 背中を真下に向けて落下させても "常に" 正しく "四つ脚着地" するニャンの天性は
   "Falling Cat Problem"

として、ここ150年来に渡って "幾ばくか" の物理学者を悩ませてきた問題として知られている。

 ご興味あるお方なら既にYoutubeで国内外の科学解説者による説明をご覧になっておられるかも。 あの "でんじろう先生" も解説されています。
 またネットで探れば理論物理学的論文や、物理工学的ロボット開発論文等にも辿り着けますし、その中には我が国の研究者等による論文が和文で読める時代です(中には卒論/修論/学位論文を想わせるものもあります)。

ところで:
 最近、この問題解決に向けての歴史的な取り組み経緯と最新状況を詳細に紹介した書籍の邦訳版が発刊されました:
   G.J.グバーニ:
   「ネコひねり問題」 を超一流の科学者たちが全力で考えてみた
   訳:水谷淳(ダイヤモンド社刊:2022年5月31日第一刷発行)

 タイトルが長ったらしいけど、原題は
   "Falling Felines & Fundamental Physics"

で、真面だ( "落下するニャンと基礎物理学";初版2019年 )

 奇を衒った感じの邦題はキャッチ・コピーのつもりだと想うものの、本文の方は冗舌過ぎるきらいはあるけど、ウイットにも富んだ解説書で楽しい。
 なんと500ページ近くの分厚い( ca.A5版;3cm超! )書籍ながら、驚くべきはそれが低価格(¥2K以下)な事だ。

 全編を読み通す事は簡単だが、それを全て読みこなした上で "理解/納得"する事は、実は容易ではない・・・とは老生の読後感だ。

 最も "理解し易い" 物理モデルとして
   ニャンを "前半身と後半身に2分割" して
   それぞれを "剛体円柱" と見立てて連結

させ、連結全体の回転と二つの円柱の各回転を独立させた系の力学解析をして、脚着地を説明する。
 このモデルは、古典力学を修めた理工系学生であればフォローしきれるレベルと想われるが、当のニャンに取ってみれば
   勝手な "見立て" をすんニャいっ!
   オレっちの身体は、とてつもなく柔らかいのだニャ

って言いたいところに違いない。

 ニャンを初め動物は、食物等から得たエネルギーの一部を使って名称が示す通りに身体を動かすので、エネルギーの出入りがあり、単純力学モデルの様な孤立系では無い。
 高い所から放り出されれば身の安全を図る為に内耳にある平衡感覚認識器官を使って直ぐさま姿勢制御する本能が働く筈だ。
 そこ迄を考慮すると上記の様な単純力学系ではこの問題には取りかかれない・・・ので、"本質" と想われるエッセンスだけを抽出・抽象化した後に物理法則に則って解析する事にならざるを得ない。
 このモデルでは "独立に回転" ・・・ ってとこが "ミソ" と言うか、 "肝" で、そうさせないと初めゼロだった角運動量が落下過程で有限になっちまって、その "保存則" が破れてしまうからだ。

 エネルギーとか角運動量保存則・・・等々の "保存則" は物理学における大々命題で有り、祝詞みたいなもんで、これが成立する様に対象となる系を "拡張" していくのがこれ迄の歴史であり、言わば常道だ。
 横道に逸れる余談だけど、例外は勿論ある。
 "β-崩壊" に於ける "左右保存則の破れ"( "パリティ非保存" )はその典型例の一つと言える。
 この可能性を指摘したリー&ヤン氏お二人の米国在住中国人素粒子学者の論文は、あの "Pysical Review" 誌の僅か2ページ足らずだった(1956年)が、同じ米国在住の中国人(C.S.ウー女史)の実験的確証(1957年)を得てノーベル物理学賞を授与されている(1957年)。 但しその実験を行ったウー氏には授与されず、
   理論屋は得だ/実験屋は損だ

と呟いた事が知られている(今なら "ツイート" で大炎上していたかも)。

元に戻って・・・:
 上記の力学モデルを提案した著者は、その論文の中で
   ニャンであってさえも物理法則を破る事は出来ない

と、厳正厳粛な学術論文雑誌に記している事に微笑んでしまう。

 ニャンの方は
   そんな事知るかっ!
   オレっちを勝手に落とすニャッ!

って言いたいに違いない。

 この問題は、連結体の可能な配位に関わる位相幾何学的な問題へ発展して、今でも最新の研究成果が学術論文として投稿されていて、一見しただけでは院生であっても相当手こずるレベルの内容だ。 正直なところ、老生にはもうフォロー仕切れない。

ついでに:
 海外の解説動画では、
   ニャンの前後の脚を両手で鷲づかみ、
   1.5m程の高さに持ち上げて
   背中を地面に向けて手離す

のが多いが、これって "ニャン虐待" にならんのか?

更についでにだけど:
 引用書籍には
   ニャンはどれだけの高さから落下しても怪我しないか

なんて残虐過ぎるとしか想えない "実験" 結果が紹介されていて、ニャン・ファンは
   何てコトしやがるっ!

って、"読みながらも憤慨" するのだ。
 米欧人って結構 "ヒデーこと" すんなぁ・・・
 彼等彼女等の動物愛護運動なんて信用ニャらない?・・・そんな気さえしてしまう。 それとも、イルカとか鯨と違って、ニャンならそんな事していいんか?
 そんな事、許さんぞっ!・・・って言いたい。

更に加えて、昔からの私見だが・・・:
 ニャンを落下させる時だが、ニャンだって人間様と同じで上下(頭部&尾)&左右均等な骨格&内臓配置では無い。
 その上、人間はどんなに注意深く手放しても、上下左右に完全水平を保った手放しは出来ない。
 従って、重力下で "自由" 落下するニャンは、重力加速度の働きで体軸を中心とする回転し易い方向が僅かながら発生している筈で、既往力学モデルの初期条件とは大きく異なる筈だが、これについての考慮は一切なされていない。

そう言えば・・・:
 この問題が話題になり始めた初期の頃には、人が手放す時にニャンがその人の手を脚で押し退ける様な "狡"(ずる)をして初期回転加速度を得ている・・・と捉える学者等が多かったそうだが、高速度撮影によってこの説は退けられたと冒頭の書籍には紹介されていた。
 フゥ~ンだ。 人の手に超高感度の圧力センサーをつけて計測しなけりゃぁ、映像だけでは検証にはならないよ・・・と老生は想う。

現実のニャンの重力下落下問題は・・:
 人間様が千差万別である様にニャン様も千差万別で、たった一つのモデルで解明しきれる問題では無い・・・と想っていたら、原著者もそう言っているので、この点についてはこの書籍に "納得" したところだ。

因みに:
 NASAが公開しているのだが、急激な降下で見かけ無重力空間を発生させた航空機内でニャンを手放すと、4本の脚をばたつかせて空間を "遊泳" しているのが見て取れる・・・これは "虐待" とは想えニャい。 まぁ、"許せるニャ"。

最後に:
 紹介書籍には、量子力学の創設者の一人であるところのシュレンディンガーが提示したニャン問題(例の "シュレディンガーのネコ" の事です)も引用していて、およそニャンが関わる物理学的トピックスを網羅的に扱っているのが楽しい。
 こう言う "洒落の解る" 科学解説者・・・我が国にもいればニャァ・・・と想わずにはいられない。

 どうでも良いブログ・・・老生としては楽しく書き下せましたが、最後迄お付き合い下さり、有り難う御座いました。
 m(_ _)m

尚・・・:
 念の為ですが、高齢化とか過剰体重とかで
   ニャンだって "失敗" する事が無いとは言えないニャ。

 だもんで、
   試さないで下さい

ます様、よろしくお願い申しあげます。

20221001:”お布施” 問題、或いは ”宗教とお金” [雑感]

 お坊様からはキツいお叱りを受けるに違い無いけど、今や "葬式仏教" と指摘される程、葬式とか法要の時でしか "お寺さんとのお付き合い" が無くなっている例が多い時代だ。
 その仏教界の難題の一つとして "お布施問題" があるとの指摘:
   "仏教界 お布施に透明化の波"
    - コロナ禍で利用者の目厳しく
   (日経紙:2020年9月8日付け夕刊・くらしナビ紙面)

 葬儀とか法要で支払うお布施の額が一般には
   明細が "不明" かつ "不透明"

で、領収書の発行さえ無いのが普通らしい事もあってか、利用者の不満が溜まっているそうだ。

が・・・:
 幸いなるかな、我が家では
  自分の両親:無宗教墓園に納骨して年間管理料負担・・・①
  我がワイフ殿両親:実家が某派お寺の檀家。
          そこへ納骨し、遺族代表が法要等へお布施支払い・・・②

としている。

 ①は、我が親父殿おふくろ様が生前に墓地墓石セットを調達していて、私等の負担は実質無く、つくづく両親の "先見性" に感謝している。
 その時が来たら自分も "そこに入る" つもりだ・・・って言うのも、自分は赤の他人と一緒くたの樹木葬とかの合同葬はイヤだし、海とか宇宙への散骨も性に合わないからだ。

 ②では、時にある法要経費の一部負担をしているが、苦になる程の高額では無い事に助かっている。

 ヨーロッパ諸国では今も基督教信徒が多い事もあって "教会税" なる税制をとる国では、信徒が自らが属する教会へ収入のなにがしかを支払う仕組みがある。 支払いの無い信徒は教会のイベントへの参加が出来ないとかが社会的な問題となった事もあった・・・とは聴いた話だ。

 信仰そのものは各個人の心の問題である事は勿論だが、霊感商法とか強制的高額献金の様な違法行為は、法治国家である以上は厳しく断罪されなければ誰もが納得しない。
 "宗教とお金" の関わりは、信仰の自由を前提とする国では何処でも論点が幅広く、そして深い様だ。
 我が家に限って言えば、この種の問題を抱えていない事に感謝するしかない・・・例のカルト教団問題の報道を見聞きする度にそう感じ取りっているのデス。