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20211105:”書く自由/権利” があるなら ”書かれない自由/権利” もあるべきだ(ただの私見)。 [ただの私見]

 EUでは、自分の過去に関わる個人情報をネット上から削除する権利が認められ、これが契機となって今では
   "忘れられる権利"
が法的に認知されている(現在は "削除権" とか "消去権" と言われる)。

 何事においても後追いがかっている我が国では法的な論点整理さえ進んでいない様だが、今のところは個人情報保護の観点に沿う形でプロバイダー側が個人からの要請を受けている段階だ。
 それでもせいぜい "削除止まり" で、"加害側への懲罰" は無いに等しい・

 一方、"報道の自由" については "万人"(?)が認めるにしても、公人ではない
   "民間人の個人情報を当該者の了解無しに報道する事が黙視"

されている事に自分は納得がいかない。
 単純化して言えば "プライバシー" の侵害だ。
 うろ覚えに過ぎないが、確か故・三島由紀夫氏の何とかという小説が
   自分の私生活を暴露していて、プライバシーを
   侵している

とした訴訟があって、東京地裁(?)が著作者と出版社に弁償金支払いを命じた事件が我が国の最初の判例だった筈だ。
 "プライバシー" ・・・ って言う聞き慣れない用語を解説した新聞記事を読んだ記憶がある。
 今では侵害要件が整理されていると想うが、それにしても最近の小室圭さん真子さんご夫婦についての細やかな事まで報じてやまないマスメディアの "節操の無さ" には嫌悪感さえ感じる。 ご夫婦の方は訴えたくても出来ない環境に置かれてしまっている様に老生には見える。

 世に "有識者" と呼ばれる方々は、
  "報道の自由/権利"
と同時に、
  "報道されない自由/権利"、
加えて、
  "書く自由/権利"
と同時に
  "書かれない自由/権利"
についても論点整理して、箍(たが)の緩んだ社会規律を正す指針を
いて欲しい・・・とは老生の最近特に感じている事であります。

 国家にあるのと同じ様に
   マスメディアにも品位
があってしかるべきだが、今の "無さ" は異様でさえある様に想えてしまうのは、果たして自分だけだろうか。

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