20191224:表現の ”自由” と ”制約” [雑感]
少し大袈裟な表題ですが、なぁに、中身は薄っぺらです。
回顧2019-美術編で
“自由な表現 どう支える”
なる記事が目に付いた(出自:日経紙2019年12月10日付け朝刊文化面)。
この中で、8月の
国際芸術祭 “あいちトリエンナーレ2019”
- 企画展:表現の不自由展・その後
(@愛知芸術文化センター等)
が開幕3日で中止された “事件” が回顧されていた(記事署名者:編集員 窪田直子氏)。
その経緯は皆様ご承知の通りで、今更ここで繰り返す必要はなかろうと想うが、
① “表現の自由を踏みにじる行為” に厳しい目が注がれている
・・・と国内外からの抗議事例を紹介した上で、
②美術館や芸術祭という表現の場に関わるすべての人の “覚悟” を問う機会になった
との結語じみた内容だった(上記で ” ”:当方加筆)。
“表現の自由” は憲法で保障された人権ではあるが、”無制限” かつ “無制約” では無い。
表現者の “自己規律” を必要とする。
従ってこの記事にある “覚悟” とは具体的に何を意味しているのか。
メディア側は、政治家の発言や文化庁による交付金停止等の圧力を非難する一方、従軍慰安婦像や昭和天皇を題材とした表現者の “何処に自己規律があったのか” について “どう問う事をしたのか” ・・・ 記載は無かった。
要するに、”何もしなかった” と言う訳だろう。
事は “生きる権利” とは異なる。
“問題提起” だけではなぁ・・・
自分の様な頭の回転が “とろく” なった年寄り読者も多い事だ。
もう少し論点整理して “**すべき論” を展開して欲しかった・・・です。
回顧2019-美術編で
“自由な表現 どう支える”
なる記事が目に付いた(出自:日経紙2019年12月10日付け朝刊文化面)。
この中で、8月の
国際芸術祭 “あいちトリエンナーレ2019”
- 企画展:表現の不自由展・その後
(@愛知芸術文化センター等)
が開幕3日で中止された “事件” が回顧されていた(記事署名者:編集員 窪田直子氏)。
その経緯は皆様ご承知の通りで、今更ここで繰り返す必要はなかろうと想うが、
① “表現の自由を踏みにじる行為” に厳しい目が注がれている
・・・と国内外からの抗議事例を紹介した上で、
②美術館や芸術祭という表現の場に関わるすべての人の “覚悟” を問う機会になった
との結語じみた内容だった(上記で ” ”:当方加筆)。
“表現の自由” は憲法で保障された人権ではあるが、”無制限” かつ “無制約” では無い。
表現者の “自己規律” を必要とする。
従ってこの記事にある “覚悟” とは具体的に何を意味しているのか。
メディア側は、政治家の発言や文化庁による交付金停止等の圧力を非難する一方、従軍慰安婦像や昭和天皇を題材とした表現者の “何処に自己規律があったのか” について “どう問う事をしたのか” ・・・ 記載は無かった。
要するに、”何もしなかった” と言う訳だろう。
事は “生きる権利” とは異なる。
“問題提起” だけではなぁ・・・
自分の様な頭の回転が “とろく” なった年寄り読者も多い事だ。
もう少し論点整理して “**すべき論” を展開して欲しかった・・・です。