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20191229:罵倒するだけでは解決しない(地球温暖化) [ただの私見]

 “スウェーデン少女” (16歳)の活動が主として “ヨーロッパ同世代の共感” を呼んで大きな “うねり” となり、世界中のマスコミの関心事となっている。
 おまけに “タイム誌” では2019年を代表する人物として表紙を飾った事も大きな話題になった。
 昔程の “権威” は感じられないが、それでも “世界のタイム誌” だ・・・大したもんです。

 一方、米国とかブラジル、更には中国やロシアの指導者からは、その余りの “過激” な、或いは取りようによっては “内政干渉” じみた発言が嫌われて “激しい反発発言” が繰り返されたが、マスコミは少女側についていて、批判者等は格好の餌食になっている様だ。

 自分は彼女の活動については十二分の “敬意” を表するものの、大袈裟に言えば少しだけ “疑問” が無い訳では無い。
 以下は頭の働きが単純になった “年寄りの戯言” に過ぎないので、まともには受け取らないで、 “お時間と広く深い寛容さをお持ちの方” に “限り” お立ち寄り下さい。
 少々 “過激” な部分もあります。
 m(_ _)m

1.地球温暖化の “根拠” は:
 IPCC ( 国連気候変動に関する政府間パネル;Intergovernmental Panel on Climate Change ) の報告書の結果に基づいているとすれば、些かの “疑問” を無しとしない。

 この報告書を完全に理解するには、極めて広い範囲の “地球に関わる科学” を収めている事が必要だ。
 そうでなければ、その主張している “精度”(⇔ “信頼性” と言って良いかも) を理解する事は出来そうにない(少なくとも自分には)。

 彼女にはそれだけの知識を収めるに十二分な時間的かつ経済的、更に能力があったと言う事だろうか。
 多くはこの種の専門家多数の見解を “盲目的に信じて” いるに過ぎないが、実は信じていない科学者も実に多いの現実だ。

 昨今の異常な迄の “気象現象” と IPCC の主張する “気候変動” を混同してはならない。
 両者は全く異なる現象であり、気候変動を理解するには余りに今の自然科学は “痩せて” いる。

 彼女は何処迄この報告書に信を置いているのか。
 “全てを鵜呑みにするのは危険だ” との意見も多いを事を忘れてはいけない。
 半分信じながらも、半分は “?” を抱きながら読み下す事が必要だ。

2.温暖化が真実だとした場合、その遠因に自らの “責任” を感じないのか
 仮に枯渇性資源を使いまくる事が直接原因だとすれば、その様な物質文明をもたらした遠因は “ヨーロッパ先進諸国” の植民地政策による “後進諸国”(←今では “発展途上国” と言い直されています) への侵入と資源乱掘/略奪に結局は行き着く。

 米国や中国、インド等の際だった温暖化ガス排出国指導者等を非難する前に、先ずは自らの “祖先等の責任” を認める事はしないのか。

 自分はそんなヨーロッパ人の “自戒” 報告を観た事も聴いた事も無い一方、生物多様性等々を論ずる舞台では、資源搾取された諸国は植民地政策を繰り広げた所謂先進国に大航海時代迄に遡ってその “補償” を求めているが、勿論ヨーロッパ諸国は “無視” している。

 つまりはヨーロッパ諸国は何事に於いても “上から目線” で物事を観ている訳で、過去の過ちを素直に認めないのが現実なのだ・・・なぁんて今更言っても始まらないが。

3.先ずは “貧困/食糧不足問題” 解決なのではないか
 世界には、温暖化を云々する前に、先ずは自国民に少しでも豊かな生活を保証し、かつ彼等の生命を守る事を目指さざるを得ない、即ち貧困と食糧不足を解決しなければならない国が多数あり、そこではその解決の為には温暖化ガス排出を伴う経済活動と食糧生産を優先せざるを得ないのが現実だ。

 資源/環境に “優しい” 経済活動/食糧生産が重要な事は論を待たないが、高コストが立ちはだかり、実現は口で叫ぶ程に簡単では無い。
 何よりも先ずは “無条件” 的に “食糧確保” が必須なのだ。

 恵まれた衣食住教育と福祉環境に身を置き、自らは何も生産しないで環境活動に専任する姿を自分はとても不思議な存在に想う。
 共感する同世代がどれだけ汗を流して自らの生活を律しているのか、自分は是非とも知りたい。
 もしこれがアフリカ、或いはアジアか南米の若者の主張であったら全く違った受け取りをしているのだが・・・

なので:
 排出国指導者等を罵倒する前に、生存権を脅かされている人々を支援する事の方が重要な筈だ・・・とさえ自分は想う。
 実際に国連が定めたSDGs(Sustainable Development Goals;2015年5月)の “17の目標提言” では、先ずは
  ① 貧困を無くし、
  ② 飢餓をゼロに、
  ③ 全ての人に健康と福祉を、
そして
  ④ 質の高い教育

であり、”気候変動に具体的な対策” をたてることは “13番目” に出て来るに過ぎない。

 温暖化ガス排出を伴う石炭産業が “敵” の様に糾弾されているが、これなくして経済が回転しない事情の国々もあるのが現実で、そういう国々では “はいそうですか” と言って炭鉱を閉じる事/石炭使用を止める事は出来ない相談だ(実は我が国も該当する)。

 この種の経済問題を解決するには産業構造の変換が必要で、一朝一夕に出来る事では無く、罵倒するだけでは温暖化問題の解決には至らない。

実は既に:
 石炭とかプラスチックの使用を止めるなんぞの “ありきたりの処方箋” 程度では “引き返す事が出来る臨界点”(”リターナブル・クリティカル・ポイント”) を通り過ぎ、”最早や温暖化は避けられない” とする見通しさえ在ると聴く。
 中国とか米国とか、或いはインドの経済活動を全て凍結した程の効果を持つ処方箋を現実に実現出来る筈も無い。

しかし一方で:
 温暖化原因ガスとされる二酸化炭素を化学原料として活用する “新化学” が世界中で研究されている(幸いな事に、我が国はそのフロント・ランナーの一員だ)。

 こちらの実現を可能とさせる物質文明へ転換させる活動こそが、遠くに見えて実は一番の近道と、自分は信じている。

最後に:
 お若い方々の頭脳は柔軟かつ大胆な思考展開が可能であり、是非ともこの新化学の分野を果敢に切り開いて戴きたい・・・と心より期待しております。

 本ブログは大分前に脱稿していましたが、投稿するかどうか、随分と迷いました。
 極めて少数派だろうと想いますが、こんな捉え方もある・・・とご理解賜れば幸いです。
 ご訪問有り難う御座いました。
 心よりお礼申し上る次第です。

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