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20220910:”本音” と ”建て前” (川崎市営バス’車イス利用者 ”乗車拒否” 事件) [雑感]

 ご訪問戴いた多くの皆様からご批判/叱咤を受けるに違いない事を承知で申し上げれば、首題事件に関して国交省関東運輸局から行政指導(当該バス運用30日間停止処分。8月30日付け。執行:9月5日から)を受けた川崎市交通局、及び市から訓戒処分を受けた(3月)当該バス運転者に自分は幾ばくかの "同情" を禁じ得ない。

事件はこう伝えられている:
   ① 日時:2021年11月20日午前6時45分
   ② 車イス利用者:川崎市内某バス停留所にて待機中
   ③ 乗客A:車イス固定箇所にて睡眠中
   ④ 運転者:社内状況確認
   ⑤ 同:後続バスが直ぐに接近と認識

 ①の頃、②の方が乗車の意を伝えた所、運転者は③を観て、④と⑤の上で、
   後続バスに乗車して欲しい

旨を伝えて、乗車させずに発進した。
 当日は土曜日で、月~金曜日とは異なりバス運行間隔が拡がっていて、②の方は10分以上待たされて後続バスに乗車した。
 ②の方は当該バスに "乗車拒否" された苦情を行政側に申し入れ、行政側は関連法に則って
   "正当な理由" 無くして乗車拒否した

と判断して冒頭処分となった。

さて:
 土曜日の7時前とはいえ、通勤通学の乗客が皆無だった訳ではあるまい。 多分そうだと想うが、彼等彼女等の多くは十分な余裕をもってバスを利用している訳では無いとすれば、②の方を残して発車した事に、それなりの複雑な感情を抱いたに違いない。
 一つは、
   眠っている乗客を目覚めさせ、
   車イス利用者用スペースを空ける様に要請して
   乗車させるべきだった

と感じる乗客もいたに違いないが、一方で
   そこ迄は想わない乗客

だっていた筈で、バス車内は
   "本音" と "建て前" が "同居"

していた・・・っての実態だったと、偏屈で心の狭い自分には想えてしまう。

 乗客全員が心の余裕を持っている、そんな社会であれば良いのだが、それとは余りに遠くかけ離れている今のギス*2社会構造の中で、"あるべき姿" を実現するには幾ばくかの障壁があるのも事実では無かろうか。
 行政処分した側の大義名分は十二分に解るが、運転者への配慮も期待したかったと想う自分は非常識な、そして冷血な人間なのか。

その時:
 自分が当該バス乗客の一人だったらどうしたか/どう捉えたか。 "遅刻しなくて良かった" ・・・ と想うかも知れないとは "怖くて" 考えたくも無いのだが、正直、自信が無い。

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