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20220919:エリザベス女王の訃報に想う [故人を悼む]

 9月8日に静養先@スコットランドにて逝去。 享年96歳。

 僅かこの二日前には、新首相任命をされていたので驚き以外の何ものでも無かった。
 その報道と世界各国の反応が際だって大きく、逝去されて更なる存在感を与えている様に感じる。

 自分はこの方の "戴冠式" を小さな個人経営電気店の "開放TV" 中継(の筈は無いので多分録画?)で観た事を覚えている。
 訃報記事によれば1953年6月2日の事だった。
 当時は、TVは一般家庭に普及開始時期を迎えようとしていた時代で、駅前とか、商店街、或いは神社等のチコッとした広場に櫓を組んだ "街頭TV" で放映された故・力道山のプロレス中継に大勢が群がって観ていた時だ。
 裕福な家庭からの購入がやっと始まっていて、電気店では次に買いそうな家庭の子等には展示用TVを開放もしていたのです。 我が家は決して裕福では無かったし、TV購入も決して早いとは言えなかった(?)けど、結局はこの電気店からだったか。

その戴冠式では:
 各国の王族とか元首級要人が参列していて、順に女王に対面する場面が延々と中継されていた。
 我が国からは時の皇太子殿下(現・上皇陛下)が昭和天皇陛下御名代として参列されておられたが、その女王との対面が随分と後の方だった記憶がある。 つまり、"まだか*2" と待ち望んでいた訳です。

 それが当時の日本の立ち位置だった・・・と知ったのは大分後になってからの事だった。 当時の自分は小学生上級生で、僅か戦後8年、主権回復1年後足らずの時で、英国やオランダには旧日本軍捕虜の方々を筆頭とした反日感情/勢力が大きく立ち上っていた事なぞ、知る由も無かった。
 皇太子にとっては大変な時代環境の中での戴冠式ご参列であった訳だが、時の首相であった故・W.チャーチル氏の周到な働きかけで反日感情の爆発が抑制され、以後、英王室と我が国皇室との接点が持続的に発展して来ている事を知ったのは、高校生時代、日本史授業の最後の駆け足説明に過ぎなかった "戦後史概説" を受けてだった。

 "noblesse oblige"( "ノブレス・オブリージュ" : 高貴な生まれの方々が生まれながらにして課せられた社会的責務)・・・って言葉があるが、まさしくこれを体現され、一生を英国に捧げた方だった様で、本当に大きな存在感を示された。 これ無くして英国民による王室認知は果たしてどうだったのか。
 中には決して表には開示出来ない外交秘話等を抱えた一生でもあったと想われる。 この歳になってだが、こう言う方々を拝見すると、王室や皇室の存在の今日的な意味が解る気がする。
 黙祷。

蛇足だが・・・:
 俗称 "英連邦" は今後どうなるのだろうか。
 故人の人柄故の文化的/経済的な繋がり維持が保たれていたのだとすれば・・・

気がついたのだけど・・・:
 トラス新首相の任命をされた生前最後に公開されたあの写真・・・故人の右手の甲には黒っぽい内出血跡の様なのが映っていました。
 表には決して出ていなかったけど、随分とお身体の調子を落とされていたのでは・・・と感じてしまった。
 どこかのニュースだったか、このスコットランド滞在には御覚悟を決めておられたと伝えていたが・・・

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