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20181212:今年は ”K.ベーム” + ”ウイーン・フィル”(第9・合唱付き) [自分の事]

 いつも11月央から年末迄、カーステとPC立ち上げ中は第9(合唱付き)を流しっぱなしで聴いている。

 今年は
  オーケストラ:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
  合唱:ウィーン国立歌劇合唱団
  +ジョーンズ(ソ)/トロヤノス(ア)/トーマス(テ)/リッターブッシュ(バ)
  指揮:カール・ベーム
に決めている(録音:1970年@ドイツ・グラモフォン)。

 なんて大昔の “第9” だ事!(>_<)
 手持ちの第9は、いろんな “楽団”×”歌手”×”指揮者” の組み合わせ×”録音年代” があって、10組を楽に越えるが、指揮振りが真摯な "ベーム盤’1970" が自分のお好みだ。 お馴染みのベルリン・フィル+カラヤンは派手過ぎてちょっと・・・

 年末に第9の演奏会がそこら中で開催されるのは日本独特の風景と聴いている。

 第9それ自体は第一次世界大戦で捕虜となったドイツ軍兵士が我が国何処かの収容所で演奏したのがきっかけで、以後日本人の感性にマッチして、普段は “クラシックに関心の無い向き” にも “これだけは” と歓迎されているとか。
 それを見越して観衆を集められるので楽団員の年越しボーナスを稼ぐ為らしい・・・(*1)

 合唱部分を一般市民が歌い込む催しも沢山あって、今は昔、自分も参加した事もあった。
 あの頃は素直に楽しかったです。
 いまはそんな声が出る元気はどこへやら・・・なので、背景音楽として聴き込んでいる訳であります(*2)
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(*1):12月7日(金)夜放送の “チコちゃんに叱られる” では “楽団員の餅代稼ぎ” って説明していました。
(*2):歌詞はドイツ語。
   意味が解ると感銘と高揚感がより深まり高まります。 是非ともご解読を!


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20181211:東名 ”あおり殺人事件” 裁判に想う事 [ただの私見]

 大袈裟かも知れませんが、自分の素直な “実感のままのタイトル” です。

 先週から引き続いて東名で起きた “あおり殺人事件” の第一回公判ニュースでTVは溢れている。
 今の法律では被告を正当に裁く事が難しそうだ・・・との解説は何処の局も同じだったが、何とこれは公判前の判事・検事・弁護士担当者打ち合わせの折に “判事側の示唆” があったらしい・・・との報道には唖然とした。

 是枝監督の映画に ”第三の殺人” ってのがあって、判事・検事・弁護士は “司法と言う名の同じ船” に乗っているので “まぁまぁ” と言う “仲間同士の阿吽の呼吸” って奴がある・・・なんて意味の会話があった。
 これか。

 自分は、”我が国は法治国家” と想っている。
 その法で守られべきは善良な国民の筈だ。
 でもって、地裁判事は裁判所制度の中では下っ端・格下で、社会の進度に合わせた新しい判断を下したりするのは期待出来そうに無い・・・なんて事は信じたくない。

 報道から知る限り、弁護士の論理は被告の擁護だけにあって “社会正義” とは大きな乖離がある・・・と感じるのは自分だけではないだろう。 実際、このソネブログでも同じ見解を投稿されておられた方々がおられました。

 この悪辣としか言い様がない犯罪者が、社会正義の下で正しく裁かれる国であって欲しい・・・と切に願うばかりです。


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20181210:歴史は繰り返される(知的財産権流出事件) [ただの私見]

 サムスン@韓国の有機EL生産技術が “不法” に中国4社へ流出したとの記事を読み、つくづく “歴史は繰り返されている” と感じた:
  日経紙:2018年11月30日・朝刊・国際アジアBiz紙面
   “サムスンの有機EL技術 中国4社に流出か
   韓国検察関係者起訴

 サムスン社が有機EL製造装置の制作を依頼したパネル製造装置の製作会社@韓国を介してノウハウ満載の製造装置機密が中国企業へ不法に提供されたとの事だ。

 我が国の先端材料/先端電子機器類の製造技術上の機密が関係者からライバル企業/ライバル国企業へ不法に流される事件は1980年代以降頻繁に起こっている事だ。

 当初の流出先は専らお隣半島の国だったが、今ではその半島の国から巨大なお隣大陸国家へとなっている訳だ。

 我が国から機密を不法に流した関係者とは、人事の上で不遇だった社員とか退職者等、身近な存在だったらしいが、お隣半島国家でも似たような事情なんだろうか。

 この種の人間模様は繰り返されて終わりはないんだろうなぁ(*1)
 とすれば10年程先はどうなっているるのやら・・・
 でも、お隣大陸国家は10億を超す国民を個々に情報管理しているって事だから流出なんて事件は起こらないかも。
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(*1):似たような “事件” を投稿しています:
 20180930:”米中貿易戦争” を横から眺めて ・・・ ”知財権” を巡って


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20181209:暴力根絶は無理々々・・・かな(大相撲) [ただの私見]

 たしか5日(水)の17:30前後だったか、TVでニュース番組を見ていたら
  “速報! 貴ノ岩関 付け人へ暴力沙汰 - 協会が公表

と、MCが興奮気味に一気に伝えていた。

 つい先だって “暴力決別宣言” をやらかしたばかりなのに・・・とは自分は想いません。 何故なら “チコちゃん流” に言えば、
  “相撲発祥の根源が相手を死に至らしめる格闘技だった・・・から~”

で、格闘技には暴力的要素が必ず含まれ、競技者自身それに馴染んでいるからなのです(*1)

 今でこそ “神事”・”国技” を名のっている大相撲だが、相撲は勿論の事、プロの格闘技では相手に勝たなけりゃぁ意味が無い。 意味がある負け・・・なんてきれい事は解説者の言葉に過ぎない。
 勝てば給与が↑/負ければ給与が↓・・・解り易い仕組みだ。

 相撲取りはだから勝つ事に必死だ。 気は優しくてて力持ち・・・なんて事はあり得ない。 見せたとすればそれは芝居だ。

 今回の事件は、一年前に元・横綱日馬富士関を加害者として遮二無二引退させた被害者だった貴ノ岩関が、本性を表したかの様な加害者側になっているのが象徴的だ。 被害者当時は何も出てこなかったが、加害者になった途端、乱暴狼藉常習犯・・・って話が出て来る。
 7日(金)午後にはついに引退宣言へ追い込まれてしまった。

 どういう訳かあまり報道されていない様だが、今は廃絶された貴乃花部屋での暴力事件は裁判沙汰案件もあるし、貴公俊のそれはウヤムヤの内に幕閉じになっている。 同じ暴力沙汰なのにおかしな話だ。

 宣言で暴力行為が無くなるんだったら誰も何処も苦労しない。 厳しい “罰則” が無ければ効力はそれこそ “絵に描いた餅” に過ぎない。 お馴染みスポーツ解説者は何故指摘しないのか、自分には不思議でならない。
 協会&我関せず感の “有識者陣+スポーツ庁” がどう始末つけるのか、見ていこう。

因みに:
 暴力暴行根絶は無理なんだから、もう "国技と名のらせない" ・・・ これが一番って “息巻く” 飲み友がいます。
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(*1)20171214:格闘技に潜む ”暴力的要素” に関する一考察(一部経験論を含)


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20181208:地区防災訓練 [自分の事]

 つい最近の事、近所で小火(ぼや)があった(*1) せいではないだろうが、この2日(日)に “地区防災訓練” があった。
 自分は担当地区 “班長” として参加(サボる訳にいかないし・・・)。

 横浜市消防所員による救急訓練(心肺蘇生&AEDの操作)、次いで地元消防団員指導による初期消火訓練があった。
 地元消防団員は全くのボランティア活動との事で・・・ご苦労様です。

 消火栓やホースの扱い等、現役の頃に習った覚えがある筈だったが、この歳でいざ筒を抱えて放水すると、重くて10秒も持ち続けられない。 持った途端、5秒程度でフラフラの始末だったのが情けない。
 現役と言うとおかしいが団員の方も精々20-30秒程で、次々に人が入れ替わって放水するのだという。

 2時間程の講習・訓練を終え、帰り際にはお約束の “豚汁” を戴いて帰りました。
 寒かったし、疲れた。

因みに:
 道路に埋め込まれているマンホール(消火栓蓋)の開け方・ホースの繋ぎ方・水の出し方等丁寧に教わったが、どういう訳か水を出す時の “開栓が逆ねじ”( “時計回りで出水” )になっているのが不思議と言えば不思議だった。
 何か理由があるのだろうか。 団員の方も解らなかった。

そう言えば:
 水道蛇口開栓の仕方の中で、上下に引き上げたり押し下げるレバー・タイプがある。
 どう考えたって上へ押し上げたら出水でなければ・・・だって逆だったら地震か何かでモノが落ちてレバーを押し下げたりして “水が出っぱなし”・・・なんて事、起こり得るじゃん!

 なのに、我がワイフ殿実家ではレバーを押し下げたら出水なので・・・戸惑う事、しきりです (>_<)
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(*1)”20181128:100mほど近くで火事”


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20181207:中学生に癒やされる [自分の事]

 先週の土曜日(12月1日)、風も無く快晴に近い日だまりの中、ウォーキングの最終コーナーでもある100段程の階段をゆっくりとマイペースで登っていたところ、後から元気よく駆け上がる様にやってきた二人組に
  「今日は! お手伝いしましょうかっ!」

って声をかけられた。

 見ると地元中学校名入りのトレーニング・ウェアを揃って着ていて、部活(?)なのか、聴いてみると川沿いだけだと平坦で飽きてきたので “アップダウンのあるコース” を調べて仲間に紹介する為のトライだという。

 どうやら自分では “しっかり” とした足取りで登っているつもりだったが、彼等からみるといかにも “よたよた”・”もたもた” した “年寄り臭かった” のだろう、想わず自分に声をかけたのらしい (>_<)

  ここの中学校は一度このブログでも紹介した事があって(*1)、生徒らの出来が良いところだ。
 今回は想わぬところで癒やされました (^^)/
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(*1):20181028:ちょこっと自慢?(”全国学力・学習状況調査” 結果)


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20181206:”6” と ”9” [自分の事]

 “近くて安い” とは言えないが、クルマで10~15分、質・活きの良い肉と刺身を置いてある “準” 地元スーパーへ出向いた時の事。

 地下鉄駅の直ぐ側と言う事もあってか、各ご家庭から乗って来て、ここの駐車場にクルマを置いたままの通勤者が多い。

 純利用者からしてみると迷惑千万だったのだが、何方かからの苦情が届いたのか知れない、ついに ”一日24時間無料開放制” だったのに二ヶ月前から “料金制” となってしまった。

 但し¥2K-以上買えば無料となる。 つまり、精算時に駐車券にマーク付けしてもらい、料金支払機で駐車スポット番号を入力し、駐車券をカード口に挿入すればストッパーが解錠される仕組みになった。

 そこでの経験。
 どなたかが支払機の前で佇んでおられる。
 何事かと想ったら、駐車スポット番号 “6を9と間違え” てしまったとのこと。
 そう、自分は “9番” だったのです。
 “6” と “9” を区別するために 数字の下側に横線が引いてあったのですが、うっかりされたらしい。
 お訊きしたら1~2分ほど待っていたとの事。
 こんなって、あるんですねぇ・・・

この経験のおかげで:
 分数を習い始める小学生向けクイズに
  ”逆さにすると 2/3 になるものなぁに?

ってのあるそうです。
 近所のお子さんに出されて直ぐに応えられずに “宿題にさせてね” って引き延ばし、本日ブログの経験をした時に “見事に” 解けました。

 後日、”この間の答えは9!” って言ったところ、”ネットで調べたの?” って聴かれちゃいました。
 いやはや・・・(>_<)

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20181205:旧国鉄’すみ丸ゴシック体(フォント) [雑感]

 自分は、日本語はゴシック体、英数字類は Century体、パワポではHGP創英角ポップ体を使用するのを習慣としていますが、時に駅名表示板、特にJR系のフォントがゴシック体の様ながら “丸やかな” ので気にかかっていたのです。
 一瞬に読み採れて良いフォントだなぁ・・・なんて感じていました。

 遅まきながら、その “謎” が解けました:
   中西あきこ氏:”鉄道文字へ出発進行
    (日経紙:2018年11月28日付け朝刊文化面エッセイ)

 氏は司書で、ここ10年程、鉄道文字の歴史を調べてこられたとの事で、”蘊蓄本” も2冊出版されておられるとか(知りませんでした m(_ _)m )。

 記事によれば1960年に定められた “日本国有鉄道掲示規定” による創作フォントが大元で、ゴシックを基本として角を丸めたフォントで、”隅が丸い” ことから “すみ丸ゴシック体” と呼称されたとあった。

 東海道新幹線開通と五輪1964東京大会を控えて、読みやすさに配慮した “国鉄オリジナル・フォント” だったそうです。
 今では鉄道会社毎に微妙にフォントは異なっているそうだが、旧国鉄時代のままのもあるそうで、これも知らなかった。
 成る程です。 鉄道ファンにもいろいろ・・・ですねぇ (^^;)

 そこでついでにネットで調べたら、今ではこのフォントが無償で自由にパソコンに導入出来るらしいです。
 拘る方、いるんですねぇ・・・


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20181204:新旧 ”恐怖の報酬”(映画) [気晴らし事]

 新旧と言ったって、
  旧:1953年版
     出演:イブ・モンタン等
     監督:アンリ・クルーゾー
  新:1977年版
     出演:ロイ・シャイダー等
     監督:ウイリアム・フリードキン

なので今から見れば両方とも大昔の映画。

 が、監督はどちらもよく知られた力量のある方だ。
 歌手としても素晴らしいのだろうが、この映画のイブ・モンタンは30歳を越えた頃でとても若々しい。 R.シャイダーの方は数多くの出演映画の中では ”2010年” が記憶に残っている。

 何故今になって見直したのか・・・日経紙日曜版には “名作コンシェルジュ” と題した古今東西の諸々の傑作紹介ページがあって、2018年11月25日版ではこれを取り上げていたのです。

 筋はよく覚えている。
 行き場を無くして南米へ逃げ延びたならず者4名が油井火災を消す為のニトログリセリン(旧作)/ダイナマイト(新作)を道なき道をトラック2台に別れて運ぼうとする。 古くさい表現で語彙の無さがバレてしまうのですが、映画の後半は ”スリル満点” の描写が容赦なく “ノンストップ” で続く。
 ラスト場面であっと驚く結末が用意されていて、見終わると、映画ってこうじゃ無きゃなぁ・・・って満たされる。

 旧はNHK世界名画劇場での放映版を録画した奴、新は市販VHS版で改めて見比べた。
 旧はノイズ修復等一切無しの画面は致し方ないものの、モノクロを活かした影の扱いが見事(まるで "第三の男" の様だ)。 新はカラー版で、話の展開が速く、魅入ってしまう。 特に、豪雨の中、ボロボロの吊り橋を渡る場面はヒヤリハットそのもの。
 どちらも秀作だ。  自分には甲乙つけがたい。

 尚、新は完全カット版となって都内で公開中と記事にはあった。 CGに見馴れた方々には新鮮に映るのかも知れない。

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20181203:”廃橋”(はいきょう)・・・ [雑感]

 こんな “用語” があるとは知らなかった(ワープロ辞書にも載っていない):
   日経紙:2018年11月25日:
     老朽で 「廃橋」 全国で137カ所 - 改修断念、地方多く

 国交省が調査したところによると、過去4年間の点検で老朽化が激しいとされた橋の総数は539ヵ所あり、その内、自治体が利用者数の激減もあって改修を断念して撤去・廃止する総数が137ヵ所とか。

 その多くが管理する自治体が予算難から点検・メンテをしてこなかったせいらしい。
 どんなに利用者が少なくなったからといって橋が無くなったら困るよなぁ・・・なんて言うのはそういう現場を知らない第三者の立場だから・・・とは想うが。

 自分の住んでいる所の近くには交通量・利用者数の多い橋が2カ所あり、ウォーキングで利用する橋は時に5ヵ所を越える(橋を目安にして歩くので)。 おまけに新しく完成した橋さえあるくらいだ。

 人口が集中する自治体では利便性を求める社会インフラが整備されていき、寂れる地域/自治体では荒廃に向かう・・・
 これって、どこかで似た様なのを見たか、聴いたか、読んだりした事があったぞ。

 ・・・想い出した。
 米国のかっては重工業で栄えた地域の事だ。 今や海外との競争で敗れ、廃れ、錆び付いてしまった(”rust=ラスト”)ベルト地帯の実情を晒し、“プア・ホワイト” の救いようのない絶望を綴った本の事だった(:金成隆一著:”記者、ラストベルトに住む”)。

 置き去りにされた地域・・・自分には出来る事は何も無いけれど、何処か重なる “何か” を感じます。

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20181202:杖つくお年寄りの横断歩行 [自分の事]

 先週月曜日(11月26日)の事。
 夫婦揃って仲良く(?)定期検診(!)を終えての帰路。 クルマの中。

 片側2車線道路同士のT-字路交差点。 左折するのだが、その縦棒付け根で信号待ちしていた所、右手から杖をついたお年寄りが足許を見ながら横断歩道を今正に渡ろうとしていた。

 折からそこへ横棒の右手から左折車が入り込もうと・・・見ると運転者は曲がる方を向いていたので当然の事ながら横断歩行者に気がつくと想っていたが・・・

 我がワイフ殿が “危ない!” って叫んだので、自分も想わずフォーンを二度三度ならした所、お年寄りも左折車の方も気がついて急停止。

 間一髪。 危うい所だった。
 お年寄りは足が不自由なのだろう、杖の先だけを見て下を向いたまま横断しようとしていたし、左折車はうっかり見落とししたのかも知れない。 そう言えばお年寄りの服装は地味なグレー一色だったか。

 当事者以外は気がつく事でも、肝心の当事者同士が気がつかないなんて・・・目の当たりに目撃しました。
 うぅ~ん、歩く時はどこか一点だけでも “ど派手な色つきモノ” を身につけていなくちゃなぁ・・・と改めて気がついた次第です。


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20181201:会社の ”寿命” [雑感]

 とても興味深い囲み記事に出会いました:
  日経紙:2018年11月22日付け “十字路”
   - “会社の寿命”(執筆:若林直樹氏@京都大学経営管理大学院教授)

 この記事に寄れば、”会社寿命は30年” とは1983年に日経ビジネス誌が言い出した事らしく、今では “一般常識” になっている。
 そう言えば自分も現役の頃聴いた事があるなぁ・・・

実際のところは・・・:
 今ではもっと厳しくなっている様で、2017年に倒産した会社の平均寿命は “23.5歳” だったらしい(東京商工リサーチ社調査)。
 一方、1945年以降の所謂大企業の平均寿命は60歳程度だった(清水剛准教授@東京大学の調査)との事で、大企業ほど比較的に安定しているとの事だが、栄枯盛衰も激しいとある。
 そう言えば何時のまにか消え去った大銀行もあったし、伝統ある大きな証券会社もなくなった事、覚えている。

 ICT の進歩により “銀行業は必要だが、銀行は必ずしもそうではない” と言い放つ方もいる時代だ。
 今や企業はグローバル化・合併買収・イノベーションに直撃され、人様は ”人生100年時代” とはいえ “企業100年時代とはならない”。
 
 行きつけの居酒屋さんで ICT 企業に勤めている現役の AI-技術者からは、長く厳しい修業の賜である職人技(わざ)ほど AI-システムに取り込みやすい・・・との事だし、形式の定まった書類作成とか、過去の事例記憶が活きる “士” のつく仕事の多くがそうなるとも。 でも小刻みな肉体作業を伴う土木建築等はそうなり難いだって。

 ほんのちょっと先の事でも見通しの効かない様な時代と言えそうです。 20代で入社した会社からまともな企業年金を受け取り続ける可能性は低くなる・・・なんて事になれば、いやはやいま現役の方々は大変だなぁ・・・

因みに:
 “人の寿命” を決める要素としては遺伝的なもの(含・免疫力)と生活習慣からくるものがあり、遺伝的要因については分子レベルでの遺伝子分析が盛んらしい(事例:日経紙2018年11月25日サイエンス特集紙面)。

 じゃぁ、”企業の寿命” は何で決まるのだろうか?
 写真フィルム会社だった富士フイルム社がフィルム製造の上での核心技術を活かしきって新たな事業への衣替えに成功した一方、海外の超有名なフィルム会社が衰えていったのを見ると、ガバナンスが如何に重要か、それを舵取った経営陣の力量がキーとも想えます・・・が。
 超最近の “ニッサン問題” だって、”彼” が辣腕を振るわなかったらニッサンはどうなっていたか・・・逝去されてから早や11年。 故・城山三郎氏だったらどんな小説をモノにされただろうか。


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